ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
痛みにしっかりと向き合う。真実をあらわにしてくれるのは、他ならぬ、痛みなのだから
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質問者    美しい娘、レイチェルを交通事故で失いました。

あなたにお会いするまであまり泣いていなかったのですが、

ここでは、あなたが部屋に入っていらっしゃるたびに泣いています。

 

ガンガジ   たくさん涙を流されているのでしょうね。

 

質問者    今朝もこの部屋で泣きました。

本当にたくさん泣いたので、ちり紙を持っていたら良かったと思いました。


でも、ある時点で、もう手放しました。

あるがままにまかせました。

すると、私にとっては重要だったいろいろなことが、私の顔を伝わって流れていったことに気づきました。

手放せて良かった。。。

 

レイチェルの死をめぐっては、たくさんの物語がありました。

ただ、

あなたが以前、

「物語の中での考えや感情を、『本当の私』と同一視しないように。それらは『真実の私』ではないのだから」

と、おっしゃっていたのを覚えていたのです。

それで、物語を見つけるたびに、それを手放すという選択をしています。

そうすると、即座に苦しみが終わります。

 

苦しくないから泣いていない。という物語がありました。

もちろん、まだまだたくさんの物語があるのですが、

あまり泣いていなかったのは、

忙しくて泣く暇がない、という物語がそこにあったからだと思いました。

 

レイチェルが死んでしまったので、

脳性麻痺や、いろいろな医学的な問題を抱える3歳の孫を育てているのですが、そのようなわけで、私には、忙しいという正当な理由がありました。

やることがたくさんあるのです。

 

でも、今日は、

『真実を語りなさい』とあなたがおっしゃるのを、何度も耳にしました。

 

そして、自分に真実を語った時、

レイチェルがもういない、という事実とともにいることを避ける為に、忙しくしているのだと、気づいたのです。

忙しく過ごすことを自分で選択していたのです。

 

彼女はもうここにはいません。

娘に会いたくて、何もかもすべてが彼女を思い起こさせます。

でも、私はただ、その事実とともにいたいです。

 

ガンガジ   そうですね。そこが、あなたが居るべきところですね。

 

質問者    そこにいることを避けて、忙しく動き回ったり、いろいろなことをしていた理由には、恐れがかかわっているのだと思いました。

もしも、感情をそのままにしておいたら、自分をコントロールできなくなってしまうかもしれないという恐れです。

 

ガンガジ   そうですね。

 

質問者    もし自分をコントロールできなくなってしまったら、どうやって孫のエデンの世話をしたらいいのかしら。

やらなければいけないことを、いったいどうやってこなしていけばいいのかしら。でも、もうすぐガンガジの修養会があるから、あそこでならコントロールできなくなっても大丈夫だわと。

そんなふうに、思っていたのだと思います。

 

(笑い)

 

そして今、ここにいるわけですが、

これまで、人生のすべてを傾けて忙しく動き回り、直面することを避けてきたそれは、自分で仕切ったりコントロールすることができないものなのだ、ということに気づきました。

 

ガンガジ   そのとおりですね。

コントロールのまねごとですね。

 

質問者    コントロールするのはもう嫌です。明け渡したいです。

 

ガンガジ   まねごとは必要ありませんね。

素晴らしいですね。

 

参加者    それで、ほんとうにもうたくさん泣いたんです。

そうしたら、すっきりしました。

とても気持ちがよかった。

 

ガンガジ   亡くした子どもへの深い悲しみは美しいです。

 

質問者     そしてもう一つ、

今朝ここに座っていて気づいたのは、感謝の気持ちです。

 

レイチェルに対して、感謝の気持ちでいっぱいです。

レイチェルは、とってもすばらしい人でした。

いつもそうでしたし、今もそうです。

そうして彼女と一緒にいることのできた23年間に、

それから、彼女の母親であるという名誉と、

そのような深いレベルで、彼女のことを知ることができたことに、心からの感謝を感じるのです。

 

ガンガジ   幸運ですね。

 

質問者    初め、私の物語の中には、

孫が母親の死から立ち直れないのではないかというものがありました。

 

でも孫は3歳で、喜びそのものです。

母親が、もうそこにはいないことを知っているのですが、

いつも母親に話しかけています。

彼女の存在をとても強く感じているのだと思います。

母親の愛を感じ、彼女を愛しているのです。

そのことが、私には、ある意味とてもうらやましいのです。

私もそんなふうに感じてみたい。

レイチェルがまだそこにいるように感じたい。

娘がそこにいるのだと知っていて、そんなふうに感じたい。

 

そして、思ったのは、

このような切望は、いつも、誰の中にもある、あの切望と同じだということです。

 

ガンガジ   そのとおりですね。

 

質問者     真我への切望だと思いました。

そして、ほんの一瞬ですが、『本当の私』がわかった瞬間がありました。

レイチェルと繋がったのです。

レイチェルと一緒でした。

 

ガンガジ   そうです。同じです。

その切望は、あなたの味方です。

忙しいからと、どこかに追いやってしまうものではありません。

あなたを預けてしまえる相手です。

切望の中に飛び込み、任せてしまいましょう

 

質問者    この切望は、真理です。

 

ガンガジ   そうですね。

真理への道、というふうに申し上げたくないのは、

もっともっと近いからです。

真理という歌が、それ自身に呼びかけているとでも申しましょうか。

 

けれど、私たちはずっと恐れてきました。

自分でコントロールすることができなくなるからです。

その歌の中に飛び込むと、自分で仕切っているのだという思い込みのすべてを失います。

 

質問者    でも気が軽くなります。

 

ガンガジ   そうですね。

 

質問者    もう、忙しく動き回っていなくてもいいのです。

 

ガンガジ    そのとおりですね。

それは、あなたのお孫さんにとっても、素晴らしいことですね。

これからは、もっと深いところで、お孫さんに関われますね。

 

質問者    私の中に、この子を育てるのに私は適任ではない、という物語もあり、それで仕事に没頭してめまぐるしく動き回っていたのですけれど、

なんて馬鹿だったのでしょう。

この子と一緒にいる為に必要なのは、ただ愛だけです。

 

ガンガジ   そのとおりですね。

 

質問者    その物語がわたしを彼女から遠ざけていました。     

 

ガンガジ   とても明確ですね。

 

参加者    修養会が始まって最初の日だというのに、

この先、どのようなことが起きるのか、本当に楽しみです。

 

先週、サットサンで、あなたをお見かけしましたが、

その時は、あなたがきっと私の心の痛みを取り除いてくださるのだと思い、期待していました。

 

ガンガジ   あらあら、そうじゃないのです。

もしも私が、自分の仕事をちゃんとやっているのだとすれば、

あなたたちが痛みから逃げられないように増幅させているのです。

なぜかと申しますと、

真実をあらわにしてくれるのは、ほかならぬ、痛みだからです。

 

私たちは人生のすべてを、

痛みをコントロールしたり避けるために、または、痛みから救われようと過ごしています。

でも、そうではないのです。

痛みにしっかりと出会い、避けることを止めて進んで体験するならば、

それは、ラマナが死と出会ったのとまったく同じです。

単に、あなた特有の、あなた用の脚色であるという違いだけです。

 

質問者    親しい友人が、私にこんなことを言いました。

「つかんでいるものを手放し、心をただ壊れるままにまかせていれば、そこから、本当のあなたが現れる」って。

 

ガンガジ   それは素晴らしい友ね。

 

私たちは皆、心が壊れるままにまかせるということがとても怖いですね。

 

心が痛むたびにそこには亀裂が生じ、

そうして、何度も何度も、繰り返し心が壊れるままに任せると、

亀裂はどんどん、どんどん大きくなります。

でも、

亀裂はただの空間にすぎないのです。

あなたの真我、真実のあなた、という空間です。

 

ほとんどの人々は、痛みを取り除く為にスピリチュアルな探求に加わりまが、もっともなことです。

なぜなら、痛みがなくなれば幸せになるというふうに、みな思い込んでいるからです。

でも、スピリチュアルな道をずっと先までやってくると、

それは、一つの痛みを他の痛みにすりかえただけだったということが見えてきます。あるいは、痛みを覆い隠したり、固めてしまったり、しびれさせて感じないようにするのが得意になっただけだとわかります。

 

痛みにはしっかり向き合わなければいけません。

そうすればわかります。

向き合うまでは、これは単なる知識でしかありません。

単なる記憶している言葉であり、見識であり、

他の人の過ちを指摘して正したりするような、そういうたぐいのものでしかありません。


でも、痛みとしっかり出会うとき、あなたは、切望に出会い、

そして本当のあなたに出会います。

 

質問者    あなたが、さきほど手紙をお読みになった時気づいたことがあります。それは、問いかければ答えが与えられのだということでした。答えを探すことを止めて、ただ問いかけるのですね。

 

ガンガジ   そのとおりです。


本当の問いかけというのはそのようなものです。

あなたがそうあってほしいという答えを携えながら問うのではないのです。

ただ単に心を開くと、答えはもうそこにあります。

サットサンですね。

問いかければ、どんどん深い答えが得られます。

 

質問者    この機会をお与えくださりありがとうございました。

 

ガンガジ   あなたがここにいてくれたこと、とても嬉しいです。

レイチェルを失った深い悲しみを話してくださり、ありがとうございました。


閉ざされた心には、体験されずにいる深い悲しみがたくさんあります。

壊れた心の中にあります。

 

悲しみは、解放されます。

 

あなたがここにいてくださったことで、どれほどの学びがあったことでしょう。

 

無執着という概念がありますが、

仏教の教えから来たそれが、マインドによって都合良く受け取られると、痛みから解放される方法であると解釈されます。

『あっ。そうか。わかったぞ。執着しなければいいんだな』と、解釈される訳です。

そしてそこに、

無感覚や、距離を置いたり、ということが起こります。

そうなると、人生の痛みも、愛の痛みも、心が引き裂かれるような痛みも、

体験する必要がありません。

そして、

心地よさや、さとりや、コントロールなどという、

いろいろな名前にかこつけて、もっともっと固く心を閉ざすということが起こります。

 

ですから、無執着という考えは捨てて、

あなたの執着を進んで経験してごらんなさい。

執着することの痛みや美しさ味わい、

執着するものが、引きはがされていく悲しみを味わってごらんなさい。

そうすると、あなたは、

決して切り離すことのできない何かに気づくでしょう。

それは、

禁欲的だとか、無感覚だとか、無感情だとか、そのような非人間的な存在ではありません。

自由で、そして意識的に、それらのすべてをふくむものであるのです


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