恐れ | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
恐れと呼ばれているそのエネルギーに意識を向けて、深く入り込んでいってごらんなさい


質問者    ここ数年、袋小路に追い込まれているように感じています。頻繁に病気をしますし、何か行動を起こそうとすると、まるで邪魔をするかのように次々と障害が現れ、あなたのリトリートに出ることもできませんでした。とても深刻な状況でした。
それでも、こういう状況なのだから仕方がないとあきらめることで、なんとかやっと心の落ち着きを得たのですが、今度は事故にあってしまい、今とても落ち込んでいます。
わけの分からない何かが立ちはだかっていて、私の行く手を妨げているというような恐れがあり、もっとその奥には絶望感があります。
どうしたらよいのか教えてください。

ガンガジ   私も人生のある時点において、あなたと同じように感じたことがあります。その頃の私は常に病気がちで、何をやろうとしても障害が起きるように感じていました。
状況がだんだんよくなってきたかと思うと、また新たに何かが起こり、突き落とされるという事の繰り返しでした。

私自身が過去に経験したことなのでここであなたに強調するのですが、私はいま、そのときの苦しみに感謝をしています。

人生に起きている出来事を止めようというあなたの努力にもかかわらず、次々といろいろなことが引きづづいて起きる。
それなら、私たちは、この状況を賢く利用して、
あなたの人生のすべてが、あなたに、
『動くな、じっとしていろ』と、ささやきかけているというふうに
受け取ってみることができるかもしれません。

あなたはどこか違う方向へと行きたいし、行かなければならないと感じていらっしゃる。けれどもあなたの人生は、動くなと言っている。

このような場合、
あれこれといろいろな方法を用いてこの状況を排除しようなさらずに、つまり 状況を敵にまわすことをやめると、あなたが欲していない出来事や病気でさえ、完全にゆだねるということを教えてくれる道具となるでしょう。

もちろん、嫌な状況を捨て去り改善するのがまちがっているのではありません。
誰も、病気のままでいることを欲する人はいないでしょう。

けれども、 実験的に、今この瞬間だけ、
病気であることを心から受け入れてごらんになってみてください。
この病気の行く末を自分ではコントロールできないのだという、
ぐらぐらとまったく不安な状態のなかにとどまってみるのです。
お手あげ状態のなかに、じっとしているのです。

繰り返しますが、
気持ちを落ち着けるための瞑想や、どの薬がよく効くのかを調査したり、情報を集めるといったような、病気をなんとかするためにあなたがいままでやっていらしたことを無視するようにと申し上げているのではありません。
そうではなくて、そういう事以前に、
病気であるということを 、今この瞬間だけ、完全に受け入れてごらんなさいと申し上げているのです。

病気や事故というあなたにとって好ましくないこの状況が、
あなたの本質からあなたを遠ざけているというのは、
本当なのでしょうか?

あなたの命の本質は、あなたがいる『今ここ』以外のどこかほかのところにあるのでしょうか?

質問者   。。。。。

私の専門はスピリチャルな分野の心理学なのですが、
私の問題の深い根が、子供時代にあるということはわかります。
それはとてもよく理解しています。
でも、恐れは無くなりません。

ガンガジ  今この瞬間、あなたが理解している事をすべて捨ててしまってください。

質問者    。。。

はい。

ガンガジ   あなたが習得なさったご自分に関する知識や理解は、すべてあなたにとって正当なものですし、大変に有益です。
でもここでは、たった今それらのすべてを手放し、
何もわからない、何も知らないというところにいてください。

質問者    とても恐ろしいです。

ガンガジ   そうですね。

あなたが習得なさったあなたに関する理解や知識は、恐れという、いわば深い海のなかで、どうすることもできず、なす術を失っています。

このようなときにこそ、
この恐れという深い海のなかから浮びあがり、その海の表面であなたご自身を理解なさろうとすることをやめると、最も深淵な発見の機会があります。

繰り返しますが知識や理解は大変に有益です。
けれども、知識や理解は、恐れの奥に何があるのかをあなたに教えてはくれません。

恐れ自身にしか、それをあなたに与えることができません。
開いた心で恐れと向き合うことで、それはもたらされます。

開いた心というのは、
いったいそれがいつどういうふうに始まったのか、とか、
どうしてそこにあるのか、
誰の責任なのか、
どうやってそれから逃れたらよいのか、というような、
恐れを排除するための考えが、そこにない、という意味です。

さあ、
恐れを排斥するいっさいの計画から離れて、
恐れに向き合う準備はできましたか?

質問者   はい。

とても不安です。

以前一度あなたに手を握っていただいてお話をしたときに、
あなたの瞳から溢れている愛を感じて、とても癒されたと感じたことがありました。
今の私も、まるでお母さんに慰められている小さな子供のような気分なのですが、でもこういうことが、恐れと向き合うということではないのでしょうね?

ガンガジ   それでは、いかがでしょう。
あなたの恐れの中に二人で一緒に入り込んでいってみましょう。

質問者   わかりました。

ガンガジ   私はあなたと一緒に、電話を通じてここにおります。
あなたと一緒にここにいます。
ですから怖がらずに、 私たちが恐れという名前で呼んでいるものの中に、開いて、ご覧なさい。

恐れに入り込んでいく時、恐れというこの名前は置いていきましょう。

このエネルギーや振動は、あなたをひどく怯えさせてしまっているわけですが、今あなたは、あなたの友達であり、先生または母親とあなたが感じていらっしゃる私と一緒です。

質問者    はい。

ガンガジ   恐れを取り除かないでくださいね。
ただ単に、それがいったい何なのかを発見するのです。

あなたはこれまで、
恐れを排除するためのいろいろな技術を学ばれてきましたが、それでも恐れを排除できずにいた訳です。
ということは、恐れがあなたに与えたい何かが、そこにあるということかもしれません。

恐れの核心に、かけがえのない何かがあり、
そのことを知らせたいがために、あなたを放さないでいるのかもしれません。

あなたがご自身で発見なさるのを、それは待っています。
ご自身でしか発見する事ができないからです。

今恐れを身体のどこかに感じでいらっしゃいますか?

質問者    はい。感じています。 

ガンガジ   それでは、恐れという言葉で呼ぶのをやめて、
そのエネルギーに意識をむけて、深く沈み込んでいってみてください。
排除するのではなく、出会うのです。

質問者    はい。

(しばらく沈黙)

ガンガジ   どのようなことに気づかれましたか?

質問者    暖かさがあります。

いつもは冷たさを感じるのですが、
とても暖かいです。

ガンガジ   その通りです。

私たちは、恐れは冷たいと考えています。
けれども、恐れをすすんで体験してみると、それは冷たくはないのです。

これはすばらしい発見のひとつです。
つまり私たちがそこにあると思い込んでいるものは、実際にはそこにはないのです。

初めにあなたは、恐れの奥に絶望感があるとおっしゃいました。
確かに絶望は恐れの奥にあります。
けれども、あなたが、すすんであなた自身をあけ開いて、
もっともっと深く、最奥までに沈み込んでいくと、そこには、絶望とは全く正反対の何かがあります。

あなたは、恐れの核心に暖かさを発見なさいましたが、
その暖かさに、さらに開いて、奥深く入り込んでいってごらんになると、
そこには、  
どのような状況にも、どのような人にも奪い取ることのできない『何か』、
病気になろうと、事故が起ころうと、
友人を失おうと、恋人を失おうと、
あなたというアイデンティティーが失われようと、
肉体の死が起きようと、 
たとえ、何がなくなろうとも、
決してなくなりはしない何かが在ることを発見なさるでしょう。

『それ』は、あなたの本質という宝石。
真実のあなたです。 

私たちはこの発見のために、こうして集っているのです。
そのために、私は皆さんのそばにいて、
恐れを一緒に体験しましょうとお伝えしてきているのです。
なぜなら、私は、
恐れのもっと深いところに何があるのか、
それを知っているからです。
恐れの核心にあるのが、恐れではないことを知っていて、
皆様にそのことを保証できるからです。

けれども、それを知るためには、
なんとかしようとすることを一瞬やめて、
そこにあらわれているエネルギーそのものの中に、ただあるがままに、開く、という意志が必要です。
あなたの場合は絶望感でしたが、
そのエネルギーの中に、ただ開く、のです。
大変に直接的で、瞬間的な探求です。

それによってあなたの本質があらわになります。
どなたにも可能です。
保証いたします。
あなたは今、皆様を代表してお話しくださっています。

皆様、同じです。
なぜなら、人間にはだれにでも、失うということに対する恐れがあるからです。
それは自然なのです。

でも、この恐れの前で、じたばたすることをやめ、
恐れとしっかり向き合い、
単純に、いったいこれはなんだろうと、開くことで、
そこに素晴らしい発見があります。

暖かさ、を感じたとあなたはおっしゃいましたが、そのように、はじまりは暖かさかもしれません。
開く、というあなたの意志によって、それはもっと奥へと続いていきます。

私があなたの人生の中に現れた理由はこれです。 
開く、という自由があるのだということをお話し、それをあなたに証明し、保証するために、私はここにいます。

あなたが選択をするのです。
しなければならないのではありません。

でも、あなたが完全に開くまでは、
『たとえどのようなことが起きていようとも、そのなかに、開く』
という自由が、あなた自身にある事に気づかないでしょう。
けれどもそのような自由がある事に気づいたとき、この自由が、今度はさらに大きな自由へとあなたを導くでしょう。
そしてそれは無限です。

なぜなら、命そのものは無限だからです。

人生はあなたに、あるときは、素晴らしいハーモニーや平安を感じさせてくれるでしょう。またあるときは、混乱や分裂を感じさせるでしょう。
それが、人生の自然な姿です。
この惑星のあらゆる形あるものの自然な姿です。

けれども、あなたの命の本質は、なにものからもいっさい影響をうけることはありません。
そしてあらゆるものすべてを、暖かく包み込んでいます。

恐れや絶望、暖かさや感情の核心には、
純粋で、何が起ころうと動じない、広大無限な、燦然と輝く命があり、それがあなたそのものなのです。

あなたのことをお話ししてくださりありがとうございました。
 
私たちを縛り付けているのは、恐れに対する恐怖です。

質問者    胸の奥がとても暖かいです。
私が感じているものが何であるのかは、わかりませんが、
これまでとは全く異なった体験です。

ガンガジ   そうです。
なぜなら、あなたが、恐れを受け入れたからです。

でももし、冷たいと感じているとしても、大丈夫なのです。
どのような結果や、体験がもたらされるかは、私たちに計り知ることはできません。
 
大切なのは、開こう、という、あなたの意志です。
奥へ、奥へと、よろこんで開こう、という意志です。

質問者    ありがとうございます。

ガンガジ   こちらこそ、ありがとうございます。













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恐れと向き合うとは、どのような意味なのでしょうか?


質問者    恐れを避ける事や、恐れと向き合う事について話していただけますか?

ガンガジ   大きなテーマですね。
核心と申し上げてもよいかもしれません。
恐れよりももっとひどい感情がありますが、恐れのようにエネルギーを持つ感情はありません。

恐れは、私たちすべてに共通する感情です。
人間だけではなく、動物なら皆持っています。
危険を察知し生存していくための、生理学的で生物学的な自然な連鎖反応です。
なぜなら、有機体の最大の目的は生存していくことであるからです。

恐れについての、このような精神世界での論議の場合、
『恐れは悪者』というイメージを取り去ることが重要です。
そして、恐れを、恐れそのものとして扱うのです。

恐れをありのままに扱うというのは、時には大変につらいことかもしれません。
でも、つらいという感情よりももっと深いところでは、恐れとは単に、振動しているエネルギーのフィールドにしかすぎません。
そして、もし恐れを、
そこにあるべきではないとか、あるべきだ、というようにあれこれ頭で決めつけることなく、単にエネルギーとして認識することができるようになると、
私たちは、恐れとかかわり合いながらも、その中でもっと意識的でいることができるようになります。
そうなると、恐れは人間に大きな恩恵をもたらします。

先程も述べましたように、ある種の恐れは、いわば正当なものです。 生命体にとって恐れは、必要なことを警告してくれる重要な役目を負っています。 私たちは、成長とともに、正当性のある恐怖を役立て、生きていくうえで利用する能力を養っていきます。
ですから私は、皆さんを、全く恐れを感じないというような状態へと連れて行くつもりなど毛頭ありません。

けれども、私たちが皆知っているように、
今この瞬間の危険を警告してくれるという正当な恐れとは全く関係のない、
例えば、過去の記憶やトラウマからやって来る、正当性のない恐れがあります。
これらの恐れは、世界を深く体験することから、私たちを遠ざけてしまいます。

私はこれまで皆様をご招待し、自由でいるということをお話ししてきました。
そして、自由でいることのひとつとして、感情としっかりと向き合うということをお伝えしてきています。
それは、過去にたとえどのようなことを経験しようとも、
毎瞬、毎瞬の意識的な選択によって、『今、ここ』に心を開くということです。
そのような選択が
可能だということに気づくこと、それが自由でいるということです。

恐れと向き合うということは、実は最悪のことに対して、開く、ことでもあります。
なぜなら、恐れの根底にあるのは、死、だからです。
人によって死の意味は様々です。
もちろん肉体的な死がありますが、その他にも、毎日経験している、何かを無くすという経験も死ですし、人間関係や健康を失うことや、気に入った特別な状態だとか体験を失ってしまう恐れも、死の恐れです。

もし皆様が、恐怖がまるで暴君のように、いかに私たちのある特別な心理、精神的な感情を拘束しているのかということを見てみようという意志があるのでしたら、どなたでも恐怖から自由になることが可能です。
恐怖を体験している真最中に、恐怖に対して、開く、という選択ができるのです。
でも恐怖から自由になるというのは、もう二度と正当性のない恐怖を体験しなくなるという意味ではありません。

それは、不快さやつらさのすべてを受け止め、
あなたの中で、「さあ逃げろ、隠れろ、抵抗しろ」という感情を生み出しているあらゆる感覚を感じ、それに対して、あけ開き、そこにじっとしていることを選択するということです。

正当ではない恐れがあるとき、その堪え難いようなつらさの中にとどまり、逃げず、隠れず、抵抗せず、ただ単に受け入れ、開く、そうすると、恐れは、もう、力を失ってしまいます。

それが、恐れと対面するということの意味です。

いま私が皆様にお伝えしているのは、
『恐れに向き合う能力があるということを発見しましょう』という訓練のお話ではありません。
もっと自由に生きることができるように、
皆様が人生を、いきいきと生ききることができるように、実際に役立てていただきたいのです。

恐れに、真正面から向き合うことにより、
恐れを主人にしてそれにしたがうのではなく、
逆に私たちに奉仕をさせるのです。 

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