本当のあなたとは誰か | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
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どのようなときにも変わること無く存在しているのは
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質問者   私の人生はとても良いものでした。。。

でも、ただ一つ足りないものがあります。


それは、目覚めていないことです。


ガンガジ  何故、目覚めていないとご自分でわかるのですか?


質問者   わかります。

なぜなら以前、2ヶ月間くらいでしょうか、目覚めの経験をしたからです。

夫が亡くなった直後です。


ガンガジ  どのような体験をなさったのですか?


質問者   我が家にいました。


ガンガジ  ああ、そうですか。

ご自分でわかったのですね。


質問者   ええ。そうです。


ガンガジ  それで?

その後どのように変化したのですか?


質問者   恐れに立ち戻りました。


ガンガジ  なるほど。

その変化がどんなふうだったのかを、話していただけますか?


質問者   広がっていた意識が、急に狭い身体に舞い戻ったような感じがしました。


ガンガジ  転生輪廻の体験ですね。


質問者   。。。


ガンガジ  それではうかがいますが、


本当の意味で覚醒した意識、つまり決して転生輪廻をしない意識のときにも、

恐れとして認識されるあなたのからだに舞い戻ってきたとき、つまり転生輪廻をした意識のときにも、

全く変化せずにそこに存在していたのは何だったでしょうか?


何が変化しなかったのでしょう。


質問者   そうですね。

静けさが存在していましたが、、、、


でも、体験中は、静けさが変化せずに存在していたことに気づくのは難しかったです。


ガンガジ  それでは、あなたのアイデンティティー(自己認識)をシフトしてご覧になるよう提案いたしましょう。


質問者   。。。


おっしゃることはわかるのですが、、、問題はそこなのです。


ガンガジ  何が問題なのですか?


質問者   舞い戻ってきたときに、自分の身体が自分だというアイデンティティーに立ち返ってしまいました。


ガンガジ  その通り。それが問題ですね。

あなたという、アイデンティティーが戻ってきた訳です。転生輪廻の体験で。


質問者   はい。


ガンガジ  あなたのように意識が広がる体験をすると、そののちに、

今ここにまったく変化せずに存在している ”それ” を、否定したり見逃してしまうということが起こることがあります。

なぜなら、

あれを取り戻したい、もう一度体験したい。というように、覚醒の体験への執着が起こるからです。


けれども体験というのは、起こり、やがて消えていくのです。

どのようにすばらしい至高体験であろうと、体験とはそのようなものです。


誕生があるものには必ず死があるのです。


意識が広がるといった覚醒体験が、初めからあなたに存在していたものなのではなく、あるとき突然現れたものなら、

それは必ず失われるということを意味します。

ですから、あなたが見いださなければならないのは、

体験の如何に関わらず、ずっと変わらずに、今ここに存在している ”それ” です。


それを見いだすことができれば、あなたは、

あなたの注意を、身体から、身体がやってきた源へとシフトさせることができます。

源は常に変化せずに存在しています。

恐れがやってきたのもその源からです。


もちろん私たちは、広がった意識の体験や覚醒の体験といった、

特別な至福の体験や至高体験にあこがれ、それらを好みます。


けれどもそれは、

ある種の状態、状況でしかありません。

そして、状態、状況、には限りがあります。


たとえば、

私たちがはじめてこの身体に気づいたときもそうでした。

どれほど、ドキドキする体験だったことでしょう。


『わあ、これはすごいぞ!』

私という自我の体験は、興奮を伴っていました。

けれども、限りがありました。


質問者   限りがある、、、

その通りです。

私が感じるのはそれです。


ガンガジ  そうでしょう。

だって、あなたは今、その身体がご自分であるというアイデンティティーの中におられるのですから。


そのアイデンティティーをシフトさせてご覧なさい。

常に変わらずに、いつもここに在る ”それ” にシフトさせるのです。


それこそが I AM 。真実のご自分自身ではありませんか?

シフトさせるとどうなるでしょう?


ご自分自身に問いかけてご覧なさい。

真実の私とは何かと。


質問者   ええと、、、正直にですか? (ため息)


ガンガジ  そうです。正直にです。(笑い)


質問者   先日、鏡を見ていたんです。私が映っていました。それを見て、嫌な感じがしました。


自分は本当はこれではないと、ちゃんとわかっているんです。

でも、じゃあ、鏡に映っているのは誰なんだろうと考えました。


ガンガジ  ちょっと待ってくださいね。

ちょうど手元に有りますから。

(ガンガジ、手鏡を取り出す。)


(質問者 会場 笑い)


これはね、力強い瞑想になりうるんですよ。

(ガンガジ 鏡を質問者に向ける)


あなたの顔が鏡に映っていますね。

ごらんになれますか?


質問者   ええ、見えます。


ガンガジ  では、この鏡に映っているあなたと、私を見比べてください。

同じ何かが見えませんか?


もちろん形は大変異なっていますね。でも私が申し上げているのは形のことではありません。

形を通り越した向こうに存在する何かです。

鏡に映っている形のもっと向こうに在り、こちらに向かって放たれているのはなんでしょう。

見るという体験の、さらに奥に存在するのは?


質問者   。。。


ガンガジ   それでは目をつぶってください。実際に目で見る必要さえありません。

それは既にここに存在していますから、目をつぶっても明らかです。



質問者   。。。


以前あなたにお会いしたとき、

あなたの内側に本当の私が存在しているのを見たような気がしました。

あなたの瞳が輝いて、私に微笑みかけてくださったとき、

確かにほんの一瞬だけ、あなたの中に私の本質を見たように感じたのです。


でも、今は見えません。


ガンガジ   この私の身体の奥から叡智が輝き出ているのが見えないと、そうおっしゃるのですか?


(会場大爆笑)


質問者    。。。


命が見えますけれど。。。


ガンガジ   生命力ですね。


質問者    ええ。

そこに生けてある薔薇にもあります。


ガンガジ   そうです。

ただね、薔薇ももちろんそうなのですけれど、


この人間の形をした身体にある種の叡智が在り、それがそれ自身を認識し、

そして、あなたという異なった形の身体に存在している同じ叡智と出会っているのです。

おわかりになりますでしょうか?

素晴らしいではありませんか。


質問者    そう。そう。その通りです。


ガンガジ   明らかですよね?


質問者    ええ。


ガンガジ   あなたにとってなじみ深いあなたの姿を鏡で見たときに、


質問者    (鏡を見て顔をしかめる)


ガンガジ   そうですね。(笑い)

私たちは鏡を見るとき、ふつうは表面を見てそれでおしまいです。

形の悪いところや良くないところ、直したいところにばかり注意が向くものです。


けれども実際にはそこに、叡智が輝いていることに気づく機会があります。

形の向こうから放たれている叡智です。


生命力。意識。他にも違った言葉で表現できるかもしれませんが、

それが、こちらをじっとうかがっています。

鏡の中の意識がそれ自身を見ている。


気づきませんか?


もちろん、目を背けたくなることもありますよ。

鏡の中には、あなたという身体の形や、自己嫌悪や自己憐憫、いろいろなものが見えますから。


質問者    ええ、そういったものが、叡智を見るのを邪魔しているかんじです。


ガンガジ   あなたがそのようにおっしゃるのはわかります。

でも、あなたに保証します。


静寂、平安、無限、意識、なんと呼んでもかまいませんが、”それ” は、すべてを包含しています。

身体や、自己憐憫や自己嫌悪といった、目を背けたくなるようなものすべてを包含しています。


ご自分の姿を鏡で見るのと同様にして、他の人の身体も見てご覧なさい。

嫌いな誰かを思い起こさせる身体や、その人のムードだとかから離れて、

つまりそういった事柄を通り越し、”意識’ そのものに気づいてご覧なさい。


鳥や、爬虫類、クジラの瞳、どこにでもあります。


そしてやがてお気づきになるでしょう。

”それ” は形とは何の関わりもないことに。


もちろん形はそれぞれが美しく神秘的で、時には恐ろしくもあるかもしれませんが、

形を飛び越えて、まったく同じなのは何でしょう。

それをご自分自身の中に見過ごしてしまっては、外側にも気づきません。

ですからさきほど、とても重要な、最も強力な瞑想になりえるかもしれないと申し上げた訳です。


私たちは、身体を無視し、無いことにするのが好きです。

皆が熟睡を好むのもそこには身体がないからではありませんか。

中には、朝目が覚めるのが嫌だという人すらいます。そして日中にも深い眠りの状態を求めることもあります。

でも、熟睡中だろうが、起きていて身体がそこにあろうが、

そのようなこととは関わり無く、意識は常にここに存在しています。


ぐっすり眠ったとおっしゃる時、

ぐっすり眠ったことを知っているのは何故でしょう。

熟睡中にも意識が存在し、気づいていたからに他なりません。

さもなければ、熟睡したと言えるわけがありません。


あなたは気づきそのものです。


たしかに、はじめて自分という身体に気づいた2歳頃に、身体が自分であると勘違いをしてしまいました。

性体験も、身体が自分だという体験を深めるものでした。

そしてやがて精神世界を探求し始めると、身体は身体でしかないのかもしれないと思う訳です。


あなたは、身体という制限を超えた意識です。


朝、目が覚め、身体が戻ってきたときに、その事実と戦うのではなく、

身体があろうがなかろうが、変わらずに存在し続けている ”それ” に意識を向けてご覧ください。


鏡に映っている姿の向こうに存在しているのは、なんだろう。

ひどく気持ちが荒んでいるときも、その向こうに変わらずに存在しているのは、なんだろう。

興奮している時、気持ちが高ぶっている時、気分が良い時、そのようなこととは一切関係なく、

そのむこうにいつも変わらずに存在しているのは、なんだろう。

そのようにご自分に質問を投げかけてご覧なさい。

ただ単に止まり、じっと動かず、探さずに。


そうすれば、本当のあなたとは何かを見いだすでしょう。


質問者   見いだす為にずっと努力をしてきました。


ガンガジ  それが大難関ですね。

あらゆるところをくまなく探せば、いつかは見つかると私たちは思い込んでいます。

初めてのキスの体験をもう一度味わいたいと探し始めると、既にここに在る真実を見過ごしてしまうのです。


あなたは、覚醒の体験を取り戻したいと探求なさっていた訳です。

ただ信頼し、止まり、ここに在る ”それ” に気づくかわりにね。


質問者   わかりました。

あなたが止まれとおっしゃっるわけが、わかりました。


ガンガジ  そうでしょう。本当は皆が知っています。

ですが、止まらないようにと、たくさんの探求の脇道や罠が、私たちの周りに張り巡らされているので、、、


質問者   本当ですね。たくさんありますね。

私のこれまでの人生は、その脇道をひとつひとつ探求する為に使われてきました。


ガンガジ  ええ。そのとおりです。

人生のすべてを、脇道の探求に使ってしまうこともできます。

でも、これからの人生のすべてを、それをやめることに費やすこともできます。


やめたからどうなるのかはわかりませんよ。


でも、ただ信頼し、”わからない” にゆだねるのです。


あなたのご主人が亡くなったときに、

それまで前へ前へとつき進んでいたあなたの人生が、その出来事をきっかけに一瞬真っ白になり、止まったのです。

あなたに起きたのはそのようなことです。


質問者   それまで抱いていた死に対する恐怖が、彼の死とともに安堵に変わったのです。

たとえ身体が滅びても、決して失われない何かが在ると、ふとそのとき実感しました。

シフトと言う言葉をあなたが使いましたが、そういう感じでした。


でも、長くは続かなかったんです。

安堵はやがて消えてしまいました。


ガンガジ   ですからね、

体験は必ず消えるのです。


そして、消えてしまう体験は、

決して消えないなにかに、私たちの目を向けさせてくれます。


探すのをやめて、止まり、自己調査をしてご覧なさい。

今ここに、なにが存在しているのか? というふうに、注意を向けるのです。

マインドであれこれ考えるのではなく、単に注意を向けるだけです。


特別な出来事が起きたときも、何も起きていないときも、まったく変化していないのは何かと。


質問者  どうもありがとうございます。

素晴らしいです。

来てよかったです。


意図をすればこのような気づきは与えられるのでしょうね?


ガンガジ  いいえ、すべてが恩寵です。

与えられるか、与えられないか、私たちにそのようなコントロールはできません。

でも、恩寵がやってきたら、責任を負うことはできます。

私はこの責任をヴィジレンスと表現しています。


目覚めがやってくるのは、恩寵にほかなりません。

ここにおられる皆様も、十分な程の目覚めの体験をなさっているはずです。

でも、その後はあなたの責任です。


目覚めの体験があっても、その後必ず多くの壁にぶつかります。

転んだり、間違ったり、つい偽物に従ってしまったり、

そしてまた探すことを繰り返してしまいます。

そのときに、止まり、動き回るのをやめるのです。

それがあなたの責任です。

恩寵を信頼するのです。


質問者   わかりました。


ガンガジ  どんなにがんばっても、はじめてのキスの体験を取り戻すことはできません。

だから一体なんだというのでしょう。


探すのをやめて、ご自分を調査し発見してください。


質問者   ありがとうございます。

すっきりしました。


ガンガジ  疑問がわいたらまずは鏡を見る。これですね。


(会場爆笑)


素晴らしい対話でしたね。


私たちは失われた過去に執着し、未来に注意を向けて生きています。

それが悪い訳ではありません。生存のために脳はそのように作られているのです。

つまり、過去を検証しその結果を未来に投影して、間違いから学び、危険を回避しなければならないからです。

十分な食料を得て安全に暮らすが為の、大変に優れた機能でしょう。


けれども、本当の自分とは何なのかを知ることは、

そのような生存の活動とは関係がありません。


もちろん人間には食料も安全な環境も必要ですし、

アレルギーがあるのならばその食べ物は避けるというようなことは当然のことです。


けれども、明日あなたの命が消えようが、

あなたが幸せであろうがなかろうが、

どこでどのように暮らし、どのような感情で生きていようが、

そういうこととは一切関係なく、本当の自分とは何かを知ることができます。

あなたが成功していようが挫折していようが、病んでいようが健康であろうが、まったく関係がありません。


変化することのない平安は、あなたがどれほど惨めであっても、ここに在ります。

あなたの中にどのような感情があったとしても、感情よりももっと近いところに、変わらない平安が存在しています。

あなたが注意を向け、ただ単に ”在る” ことを選択すれば、発見することができるでしょう。






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あなたが動揺しているとき、あなたの動揺に気づいている ”意識” は動揺しているでしょうか?

 

質問者    私は静寂とはほど遠いです。

ガンガジ   どうしてそのようなことがおわかりなのですか?
誰があなたにそう言ったのですか?

質問者    自分でそう感じます。

ガンガジ   ああ、なるほど。

そういう感情があるのですね。

質問者    はい。

ガンガジ   「私の感情が動揺している。ということは、私は動揺している」
と、そのような論証ですね。

そう解釈なさるわけですね。

質問者    はい。

ガンガジ   精神的な動揺も起きているのかもしれません。
するとそれが、

「私は動揺している」というさらなる証明となるわけです。

でも私は、
“あなたは静寂そのものだ ”ということをお伝えする為にここにおります。

動揺は、確かにあなたの “身体” に起きているかもしれませんし、あなたの感情や理性といった、あなたを構成している要素の中にも起きているのかもしれません。

でも真実のあなたは、
動揺が起きているということに、気づいている ”意識  “ です。

おわかりになりますか?

質問者   ???

ガンガジ  『動揺している』とあなたがおっしゃるときに、

あなたが動揺していることに気づいている、ある意識がそこになかったとしたら、

あなたはその動揺に気づくことができるでしょうか?

質問者   いいえ。できません。

ガンガジ  そのとおり!

単純でしょう?

動揺しているあなたの感情に気づいている意識自体は、動揺していますか?

質問者   。。。

ガンガジ  よく調べてみてごらんなさい。時間をかけてね。

動揺があります。
たくさん起きるのです。。
そうですね?

そして、動揺しているということを認識し、気づいている意識がそこに存在する。
その意識は、動揺しているのでしょうか?

質問者   いいえ。

ガンガジ  その通り
あなたの動揺に気づいている “意識“ は静寂そのものです。

そうでしょう?

あなたにお伝えしたいのは、
この、“意識 ”こそが、本当のあなただということなのです。

動揺はわき起こってはいつしか消えていきます。
穏やかな気持ちも、起きては消えていきます。
でも、そういうすべてを認識し、気づいている “意識” は不変です。

永遠に静寂で不変です。

あなたは、“それ” です。

質問者  。。。

ガンガジ  思考で理解することはできません。
理解しようと頑張ると、思考はよけいに動揺してしまいます。


ですから、思考はそのまま放っておいて、したいようにさせておけばいいでしょう。

本当のあなたとは、
あなたの思考が今動揺している、ということに気づいている意識です。


ですから
本当のあなたは、

もうすでに、しんと静まり返った静寂そのものだと

申し上げたのです。


質問者   信じられません。

ガンガジ  信じるか信じないか、というような事柄ではありません。

信じないでください。

あなたに、信じて欲しいのではありません。
御自分でよく調べて頂きたいのです。

私がお話ししていることが真実なのか、
それとも、これも単なるひとつの説でしかないのかを。

人生の中には動揺する瞬間があり、それは、起こったり消えたりしています。
そうでしょう?
あなたは、生まれてからずっといつも動揺し続けていたわけではないでしょう?

動揺することが多いのかもしれません。それは私にはわかりませんが。


質問者   しょっちゅうです。

ガンガジ  神経系統のある部分はそのようにできています。

それは、植物や、気候のパターンと同じです。

特に人間のある部分の神経系統は他の部分よりも興奮を経験しやすいようにできています。

でも、動揺していることを認識し、気づいている “意識 “は、わき起こったり消えていったりはしません。

それはいつも変わることなくそこに存在し続け、

そして、静寂で、まったく波立つことがありません。


ジレンマや苦悩が起きるのは、
あなたの本質を、

あなたの身体や思考であるというように、勘違いしてしまうからです。

本来は、それらすべてに気づいている “意識”が、あなたそのものであるというのに、身体に起こる興奮や病気や、また、あなたのマインドが堂々巡りをしたり穏やかになったり混乱したりという、それらをあなたなのだと勘違いしてしまうのです。

質問者   はい。
私の場合は、感情にほとんど打ちのめされてしまいます。

ガンガジ  何が打ちのめされるのですか?

質問者   私の身体です。

ガンガジ  あなたの身体ですね。

それでは、
身体が打ちのめされているということを認識し気づいている “意識”は、
そのとき同じように打ちのめされていますか?

質問者   。。。

ガンガジ  よく、調べてみてごらんなさい。
確証が得られるまで。

質問者   はい。

ガンガジ  先に進んでもいいですけれどね、
ほんの少しでも勘違いがあるのでしたら見逃さずに摘み取ってしまいたいので、

何度も立ち止まりながら一緒に進んでいきましょう。

質問者   それは、身体に起きるのだと感じます。

それから、怒りが湧いてきたり、動転したりして、
ひどく、打ちひしがれてしまうんです。

(質問者 涙ぐむ)

ガンガジ  そうですね。

それは、あなたの神経系統には手に負えないほどなのですね。


質問者   はい。そうです。

ガンガジ  そのような時、

あなたのその状態に気づいている “意識 ”はどこかにいってしまっていますか?

あなたの動揺に気づいている意識は、ほんの少しでもかき乱されたり衰弱したり、打ちひしがれたりしていますか?

それを調べてご覧になることはできますか?

質問者   。。。

ガンガジ  そうです。とてもいいですよ。時間をかけてください。


私がそう言っているからと、そのまま受け入れるようなことはして欲しくありません。

質問者   (涙声で)

私の中で、小さな戦いが起きているような感じがします。

ガンガジ  小さな戦いではなく大きな戦いですね。

質問者   (笑い)

ガンガジ  そうです。戦っています。
思考は分裂しているのです。
そうでしょう?

いい思考、悪い思考、それから、中くらいの。という具合に。
でも、そのような状態に気づいている “意識 ”はどうでしょうか?

この意識は分裂していますか?

質問者   いいえ。

ガンガジ  とても良い調子です。

そう。本当のことを話してくださっていますね。

あなたは、あなたの状態に苦しんでおいでですけれど、
それでも進んで本当のことを話そうとなさっています。

このまぎれも無い事実は、あなたの興味が、
あなたとはあなたの身体である、という理解よりももっと奥の、
“真実を知ること”にあることを意味しています。

素晴らしいですね。という
私のこの言葉はそのまま信じていいですよ。

(笑い)

これまで長い間、私達は条件付けられてきました。
あなたとはこの身体だ、と教え込まれ、学習しました。


その学習があなたの考えに変換されました。

あなたが痛みを感じたり、かき乱されてしまうと、
あなたは、これは悪い身体だ、と学習し、
「やめなさい。悪い子ね」と言います。
すると、あなたの違う部分がこう反撃します。
「やめたければやめるわよ。放っておいてちょうだい!」


そういうことが、あなたの思考の中で起きていますね。
そうではありませんか?

あなたの心を読んでお話ししているわけではありません。


それぞれの皆様の思考の中で、また、集団の思考の中でもこのようなことが実際に起きているのです。

集団の思考の中で起きると、それは戦争となって現れます。
宗教戦争、政治戦争、大量虐殺、

すべては、同じ思考が起こしています。


思考がそれ自身の中で起こしている戦争です。

分裂した思考の一方がもう片方に
「出て行け。ここにはおまえのいる場所はないぞ」と、言い渡し追い出します。
そこにあるのは、帰属意識と苦悩、自分だけが正しいのだという独善です。

でも、ここで指摘させていただきたいのは、
この戦いの最中に、この戦いを認識し、気づいている意識があるということです。
それは争ってはいません。
平安そのものです。

そして、それこそがあなたの本質です。
真実のあなたです。

たった今、あなたの人生におけるこの瞬間に、
あなたをこの “本質 ”に調和させるという機会がここにあるのです。

あなたの中の戦いがすぐに終わると申しあげているのではありませんよ。
そうではなくて、
あなたご自身をあなたの本質に調和させれば、もう、戦いが力を持つことはなくなると申し上げているのです。
争いの供給源が断たれるからです。

たとえ衝突したとしても勢いがなくなります。
なぜなら、あなたの注意の中心が、すでに、あなたの源へとシフトしてしまっているからです。 平安、静寂という、あなたの本質にシフトしたからです。

あなたの本質とは、すべてを認識している意識そのもの、広大無限な気づきの意識です。これまで、あなたが自分だと思い込んできた者ではありません。

あなたがこれまで、あなただと思い込んでいらしたのは、
あなたの精神の中に、やって来たり去って行ったりする思考でしかありません。
思考は変化します。
ある日は、
「あなたはいい人だ」と、言ったかと思えば、
次の日には、
「悪いやつだ」と、言うように、思考はコロコロと変わりますね。

でも、そのようなすべてに気づいている意識は変化しません。
微動だにしません。

気づきの意識は、
私が良い子であるとか、悪いやつであるというような思考とはかかわりなく、
常に愛そのものを放射しています。
この意識にとっては、思考はまったくなんの意味もありません。

そしてあなたはそのことをちゃんとご存知です。

あなたの中に苦しみがあることはわかります。
苦しみを矮小化するつもりも、
そのようなものなどありませんよ、というふうに片付けるつもりもありません。

本当は無いのですけれどね。
そういうふうに片付けるつもりはありません。

質問者   (大笑い)

ガンガジ  そうよ。待っていてさしあげたかったのです。
こんなふうに一緒に笑い合えるように。

今ある認識の上に、もう一つ新たな思い込みを重ねていただきたくないのです。

「はい。そうですか。本当の私とは、すべてを認識している意識なのですね。」
という具合に新たな概念をあなたの中に作り上げてしまうと、
今度は、そこから抜けられなくなってしまいます。
その辺を歩き回りながら、
「そうよ。本当の私とは、気づきの意識なのよ。」

と、微笑んでも、
朝4時に目が覚めると、
「ああ、やっぱりだめ、、どうしちゃったのかしら」
と、疑いがやってくることになります。
単にもうひとつの信念を付け加えたにすぎないと、そのようなことになりますね。

でももし、

単に信じこんだのではなく、それがあなたの直接的な体験であるならば、
どのようなことが起ころうとも、
いついかなる時でもご自分でこの真実を調べてみることができます。

「ちょっとまてよ、、、気づいている意識は、どこかに消えてしまっただろうか?」
「私と、この “意識 ”は、別々だろうか?」

というようにです。

あなたと、この “意識  ”の間に分離がありますか?

あなたは今、

あなたとは身体のことであり、
その身体の状態に気づいている  “意識 “と分離しているとお考えです。

でも、
気づきの “意識” は常にここにあります。
身体のほうが、現れたり消えたりするのです。


熟睡しているときのことだけをお話ししているのではありません。
昼間でさえ、身体に意識をしていないときがありませんか?
何かほかのことに意識を向けていたり、ぼうっとしていたり、
白昼夢を見ていたり、夢中で仕事をしていたり、ダンスをしていたり、
好きなことや嫌いなことを考えていたり、
そうかと思えば、

今度は、身体、心、呼吸と、
あなたの注意はあちらこちらに向きますね。

けれども、
そういうすべてを認識し気づいている意識は、常にここにあります。

参加者    (笑い)

ガンガジ    そう、そうです。ご理解なさったようですね。

このことがおわかりになれば、
この意識を、意識的に調べることができるのです。

そうすると、ほら、そこに境界線がありますか?
この意識はとらえることができるような事柄なのでしょうか?
この意識には境界があるでしょうか?

そうなると、
私たちの周りにあるすべての事柄は、
この “意識”の中に含まれているということがおわかりになるでしょう。

ここにもあそこにも、ただ一つの “意識” がある。
現れている形が違っていても、

そこには
たった一つ、燦然と輝くばかりの絶対的な “意識” があるだけなのです。

質問者  (微笑む)

ガンガジ  おわかりになったようですね。

質問者   どうもありがとうございます。

ガンガジ  素晴らしいですね。

真実を知りたいというあなたの意欲がそうさせたのです。
自由に生きたいと、ここに進み出ていらしたあなたの意欲です。

そして、素晴らしいことに、
美としての性質はなくとも、この意識は美そのものです。
善悪とは全く関わりがなくても、絶対的な善です。

この意識は神そのものです。


神はあなたの本質から、一度たりとも去ったことがありません。

あなたが本当のご自分自身に気づかれ、私はとても嬉しいです。

質問者   ありがとうございます。

ガンガジ  時には再び動揺し、ご自分に疑いを向けたくなることもあるでしょう。

思考があなたに、
「以前の君にもどりなよ。」と言うだろうことは十分予想できます。

でも大丈夫。

そのような時も、あなたはただ止まり、自問して、真実をおっしゃればよいのです。

「気づきの“意識  ”はどこかへいって消えてしまっただろうか?」
「変化しただろうか?」
「揺らいでいるだろうか? 」
「それは平安だろうか?」と。

あなたの思考を、無理矢理平安にするのではなく、
あなたの身体に苦しむのをやめるように強制するのでもなく、
ただそのように真実をおっしゃればよいだけです。

そうすれば、マインドは自ずから静かになります。
身体は自然と平静になります。

あるいはそうならなかったとしても、もうどちらでもかまいません。

なぜなら、あなたの中ですでに真実が語られたからです。
真実は何よりも大切だからです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 


 



 


 




 




 




 




 




 




 




 




 




 




 




 









 

 

 

 



 

 



 

 
 


 

 


 











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あなたが磔(はりつけ)にされても変わらずに存在している真実とはなんでしょうか。

 

ガンガジ   ようこそいらっしゃいました。

 

質問者    こうしてここにいることができるなんて、本当に夢見たいです。

 

(しばらくの間 沈黙)

 

対話をうかがっていて、問題なんて本当はどこにもないことがわかりました。

 

ガンガジ   その通りです!

解放ですね。

 

もし、何かが再び問題として浮上してきたら、

一体、どんな魔術がそれを問題にしたてあげたのかと、見てご覧なさい。

 

何らかの力がそこにあるはずです。

 

重要なのは、

あなたに、その力を手放す意志がおありかということです。

 

あなたがおっしゃる通り、

問題など全くどこにもないのです。

 

何が真実なのでしょう。

何が本質なのでしょう。

 

質問者   (しばらく沈黙)

 

「あの人は、こういう人だから」というふうに、

他の誰かが、私のことを決めつけると、

とたんに私は投げ込まれてしまいます。

 

ガンガジ   どこに投げ込まれるのですか?

 

質問者    。。。

 

私の思考の中です。

 

ガンガジ   そうですね。

それは、どこにあるのでしょう?

 

質問者    。。。。。

 

(微笑みながら)

 

ここにはありません。

 

ガンガジ   (笑いながら)

 

あなたのことを誰かが決めつけると、あなたはその決めつけを信じる訳ですね。

 

ポジティブであれ、ネガティブであれ、

だれもが、必ず決めつけるものです。

 

あなたが知っていようがなかろうが、

どこかで誰かがあなたのことを噂しています。

良いことも悪いこともね。

 

(会場 笑い)

 

そうでしょう?

皆さん。

 

霊長類に共通しているのではないでしょうか?

チンパンジーとかも、そうだと思いますよ。

 

(笑い)

 

オラウータンなら絶対そうに決まってるわね!!!

 

(爆笑)

 

それで、

決めつけられ、思考の中に投げ込まれると、

あなたはどのようになるのですか?

 

質問者    。。。

 

戦い始めます。

 

ガンガジ   決めつけられたことと戦い始める訳ですか?

 

質問者    はい。

 

自分を守りたいですから、一歩下がって身構えます。

 

ガンガジ    それは、霊長類的に自然なことですね。

そのような動きがあなたの中に現れても、全く問題ではありません。

 

それで???

 

そのもっと奥底に、何かありますか?

 

質問者    (目をつぶり、しばらく答えが浮かぶのを待ってから)

 

その奥には、恐れがあるようです。

 

ガンガジ   そのとおりですね。

 

では、

恐れを防御しないと、どうでしょう?

 

以前私は、

『恐れに向き合う』と表現していました。

でも皆さんが信仰のように、そうつぶやかれていることに気付きましたから、ここでこの言葉は使わないことにしますね。

 

(会場 笑い)

 

わざわざ向き合わなくても、恐れは実際たったいまここにあるのですから、

ただあるがままにしていればいいわけですね。

 

(笑い)

 

質問者    恐れと一緒にいるのは難しいです。

 

ガンガジ   難しかろうがなかろうが、もうここにあります。そうでしょう?

 

(笑い)

 

質問者    はい。

 

ガンガジ    恐れがここにあることに気づくのが、まず最初の一歩です。

 

これは、大変大きな第一歩ですよ。

 

なぜなら私たちは、

いろいろな方法でごまかし、魔法をかけて、

それがここに無いような振りをしますから。

 

恐れなどないというように、しらんぷりしたり、

口笛を吹いて、そんなもの何でもないよ、というような顔をしてみたり、

 

それでもだめなら、今度は、戦ってみたり、と。

 

ですから、

まず、

 

『よし、恐れがここにあるぞ』と、認めるのです。

 

どのような魔術が、

恐れをわき上がらせるのでしょうか。

 

質問者    何かをなくすかもしれないという、、、、   

 

ガンガジ   その通りです。

 

では、

 

なくしてご覧なさい。

 

質問者    。。。

 

(しばらく沈黙)

 

ガンガジ   誰かがあなたを決めつける最悪の言葉は何ですか?

 

質問者    。。。

 

ガンガジ   最悪の言葉を思いつくことができますか?

 

質問者   。。。

 

(うなずき)(沈黙)

 

ガンガジ   その言葉は真実なのでしょうか?

 

質問者    。。。

 

ガンガジ   調べてご覧なさい。

 

調べてご覧になって、それが真実だと思われるのなら、

そのことと出会わなければなりませんね。

 

質問者    。。。

 

ガンガジ   あなたのお母さんがあなたにおっしゃった、最悪の決めつけは何でしたか?

 

お父さんでも、誰でもいいのですよ。

 

あなたを決めつけた最悪の言葉を思い出してご覧なさい。

 

質問者    。。。

 

ガンガジ   それとも、あなたがご自分自身におっしゃった、最悪の決めつけは何ですか? 

ご自分への最悪の決めつけは?

 

質問者    (しばらく沈黙)

 

(つらそうに)

 

私は自分勝手で、

意地悪。

 

ガンガジ    (質問者を優しく見つめる)

 

自分勝手で意地悪。

 

自分勝手で意地悪だった瞬間が、

あなたにまったく無かったと申し上げるつもりはありませんよ。

 

結局のところあなたは霊長類なのですから。

 

(笑い)

 

そのことに対して、

ご自身を弁護するようにと申しているのではありません。

 

そうではなく、

真実を語るように申し上げているのです。

 

自分勝手で意地悪なあなた。

それは真実でしょうか?

 

質問者    時々は、そうです。

 

ガンガジ   それは真実のあなたなのですか?

 

あなたは、自分勝手で意地悪ですか?

 

あなたの最奥、

あなたの本質のことをお尋ねしているのです。

 

質問者    いいえ。

 

ガンガジ   その通りです。

私たちは今、本質についてお話ししているのです。

 

質問者    。。。。。

 

性格とか、表面に現れている事柄が、決めつけられる原因です。

 

でもそれは、真実の私ではありません。

 

ガンガジ   その通りです。

 

それが真実です。

 

私の言葉を鵜呑みになさるのではなく、

ご自分で気づかれましたね。

 

あなたが今、ご自分でおっしゃった通りです。

 

そのことに気づかれたなら、

選択があることがおわかりになるでしょう。

 

あなたの人生の中には、

自分勝手で意地悪な行動があったのかもしれません。

そのことに気づき、

そのような行動を後悔することも、もちろんできますし、

そのような行動から学ぶこともできるでしょう。

 

でもそうではなく、ここで、

あなたは本当のところは誰なのか、という、真実を語ることもできます。

それは、後悔したり学ぶこととは大変に異なっています。

 

昨晩、

疑いとは、真実の問いかけではなく、偽物の問いかけであるということを皆様にお話ししましたが、

それと同じです。

 

『ああそうか、私って、自分勝手で意地悪な人間なんだわ』と、

そのまま引き受けるのは、あなたの行動からの偽物の学びです。

 

もちろんあなたはご自分に真っ正直に、

自分勝手で意地悪である、ということに気づく可能性をお持ちでしょうし、それに気づき、やめるという可能性もお持ちでしょう。

 

でも、

『真実のあなた』は、

そのような、あなたの行動よりも、ずっとずっと深遠なのです。

 

おわかりでしょうか?

 

『自分勝手で、意地悪なあなた』

それをあなたなのだというふうに認識してしまうと、

あなたは、

どうしたら、 自分勝手ではない良いあなたになれるのかと、もがき始めます。

 

そして、

自分勝手ではないということを証明したかと思えば、

自分勝手だということを思い出すというように、

堂々巡りを繰り返すでしょう。

あなたはどうしても、そうではないご自分を証明したいからです。

 

でも、

そのようなことすべての奥底にある、真実、

 

『本当のあなたとは一体誰でしょう。』

 

あなたという表面の核の中の核です。

 

それがわかれば、

あなたは、世界中があなたをどれほど無惨に決めつけたとしても、

その中にいながらにして立ち上がることができます。

 

何度もお話ししましたが、

パパジが、このように私におっしゃったのを覚えています。

 

「もし、神がご自分で降りてきて、

『きみはまだ真実に気づいていないんだよ!』と、君に告げたらね、

神に背を向ければいいんだよ。

君のマインドのでっちあげだからね。

その神は、過去、という神なんだ。」

 

(しばらく沈黙)

 

真実のあなたが誰なのかを、知りなさい。

 

あなたがお話しになっていることは、当然どなたの人生にも、程度の違いこそあれ、起きることです。

 

一番大きな物語は

西洋人の私たちにはおなじみの、キリストの、磔(はりつけ)の物語です。

 

西洋の文化に置いては、

私たちは最悪の決めつけにあい、磔になった人を崇拝しています。

どうしてでしょう。

 

弟子達でさえつばを吐きかけ、 立ち去り、彼を否定し、隠れました。

神さえもです。

 

今夜の私たちの集いの目的の為に、イエスの概念の中の神と表現しましょう。

 

神が彼を見捨て、ひとり置き去りにしたのです。

 

その中で、彼はどのような真実を発見しなければならなかったのでしょう。

 

偽物の救世主だと誰もが言っているその中で、

彼は、何を発見しなければならなかったのでしょう。

人類の救済の為に。。。

 

西洋の文化の多くは、キリスト教と重なっていますから、

キリスト教徒でなくても賛美していますね。

美しい物語です。

 

大変に深遠で、核心を突いている物語です。

 

私たちは、誰もが、

小さな磔の物語を持っていますね。

 

大きな磔の物語の中で拷問にかけられた方もおられるかもしれませんが、

多分この部屋に、一人、いらっしゃるかどうかというところでしょう。

 

普通は、小さな物語です。

 

では、そこから得られる機会とは一体何でしょう。

 

何が真実かを見つけるのです。

それはいかなるものにも損なわれることはありません。

 

あらゆるものから自由です。

 

自由とは何でしょう。

 

美とは何でしょう。

 

磔にされても、

存在している真実とは何でしょう。

 

(しばらく沈黙)

 

そのことがおわかりになると、

あなたの人生そのものが証明となります。

 

まずは、ご自分自身への証明です。

 

そしてあなたはやがて、誰か他の一人にそれを証明するかもしれません。

二人かもしれません。

 

はっと気づいたら、、、


ほら見てご覧なさい。

 

何か、とてつもない真実がそこにあるでしょう。

 

決して、取り去ることができない、何か、

それが、あなたの本質です。

 

本当のあなたです。

 

質問者    あなたがしてくださっているすべてのことに、感謝しています。

あなたが、シェアーしてくださるすべてに。

 

ガンガジ   私こそ。。。

あなたがシェアーしてくださったすべてに、感謝しています。

 

どうもありがとう。

 

質問者    (自分の胸に手を当てて、ガンガジを見つめる)

 

ガンガジ    私たちは、お互いをサポートし合っています。

私たちは、『それ』(意識)の中で、一緒です。

 

お一人お一人が、ご自分の役割を演じています。

完璧に。。。

 

ただ、完璧です。

 

お会いできて嬉しいです。

 

(ガンガジ 質問者 向かい合い合掌)

 

 

 

 

本当のあなたとは誰か comments(4) trackbacks(0)
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