静寂 | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
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あなたの存在の核心には静寂が存在しています。
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”静寂” はラマナからのシンプルなメッセージです。
ラマナはシンプルに生きました。

ラマナと比べてパパジの人生は複雑でした。
一家の主であり会社も経営していました。
そして彼を取り巻く時代環境は非常に混乱していました。
それでもパパジも同じメッセージを送ってくれました。

ここにいる私たち皆の人生はとても複雑です。
私たちは混乱した時代に生きています。
けれどもどれほど複雑な環境にあろうとも、
このメッセージは大変にシンプルです。

" 私たち一人一人の核心に、”避難空間” が存在しています。
それは、どれほど混乱した時代であろうとも、私たち皆の中に常に変わることなく在ります。”

とても重要ですね。

私は世界の皆様との対話の中で、
『これからはもっともっと大変になってくるだろう。』
『これだけでは済まないだろう。』
『これからが正念場だ』
というメッセージをたくさん受け取っています。
実際には最悪の中にこそ深い気づきがあるものですが、
皆様が『大変だ、大変だ!』と緊張しているのが感じられます。

そして、『もっとひどくなる』とか、
『だんだん良くなる』というような事象とは一切関係ないものが見逃されてしまっています。

ですから今日は皆様に、
『これから先どうなるのか』
『良くなるのか、悪くなるのか』
というような将来の展望の一切を忘れてしまうように提案いたします。

今の時代には、だんだんひどくなるという集合体の意識がありますが、
良くなっていくという集合体の意識がある時代があり、
悪くなっていくという集合体の意識のある時代があるというように、
この世界は両側を行ったり来たりするものです。

これから先にどのようなことが起きるかというようなことの一切を忘れ、
今この瞬間に、”開いて” ご覧になるとどうでしょう?
今この瞬間、あなたのハートの核に存在している空間に開いてご覧になると、いかがでしょうか?

たとえ、
どのような現象が起きようとも、
どうなるのだろう、どうなるべきであろう、
というように、あなたの頭の中に嵐のように渦巻いている考えがあったとしても、
あなたの存在の核心には静寂が存在しています。

愛という静寂。
平安という静寂。
それはあなたそのものです。
静寂な気づきの意識です。

様々な事象がこの静寂の空間の中に現れたり去っていきます。
あなたの人生の出来事や歴史が起こり消えていきます。
けれどもこの空間そのものは、どこへもいきません。
常に平安や愛として自らに気づいています。

何も無い静寂ではありません。
満ちている静寂です。
私は、あなた方一人一人の核心に存在しているこの静寂を祝います。

発見や自己調査のポイントはそこです。
ですから、
事象がどのように展開するかに注意を向けるかわりに、あなたの存在の核に ”開く” ようにと、お勧めします。

なぜなら、今の時代からやってきている重要なメッセージは、
”起きるかもしれない出来事に対して、あなたは準備をすることなどできない” というもののように見えるからです。

いかがでしょう?

先日対話をした女性は、投資をしていた会社が突然倒産し財産をすべて無くしました。
もちろん、貯蓄を無くすのはよい事ではないですね。
無くすのは、それがどのようなものでも、私たちにとってよい出来事ではないでしょう。

けれども、彼女はとても美しかったのです。
無くしたが為に、絶対に無くすことができないものがあると気づいたとおっしゃっていました。
そして禅の詩を引用されていました。
『家が燃えてしまったおかげで、月が見えるようになった』と。
彼女はご自分の体験から発見なさったことをお話しされていました。
詩を暗唱されて披露された訳ではありません。

”私たちは、これから先自分に何が起きるのかを、知らない” のです。
最終的にあらゆるすべてが消えて無くなること以外には。

そうでしょう?誰もが皆必ず死ぬのですから。

これが真実です。

この真実と深く出会ったとき、
私たちはもうあれこれ心配しながら生きる必要がなくなるでしょう。
大変だ大変だと緊張し、あちらの世界に持っていけるものや、
死から免れる為の考えを、次々と貯め込んでおくこともなくなるでしょう。

ただ、開く。
そして、いまここに在る空間を発見してごらんなさい。
意識的な空間が、愛、平安としての自らに気づいているのです。

ここにこうして座っていると、
集合体としての皆様の不安を感じます。
けれども私は皆様に、
嵐の中に意識的でいてご覧なさいと、繰り返してお勧めします。
あなたという個がいる限りは必ず嵐があります。 
嵐が無いということはあなたという個も存在していないということです。
生きている限り誰もが嵐の中にいるのです。
でも嵐の中で意識的にいる。
これが本当のご自分に目覚めることです。

これがラマナからの招待です。
パパジが証明してみせました。
あなたも証明してみせるようにと呼ばれています。

そうなるとあなたは、右往左往するかわりに、
集合体という大きな場に平和や静寂という貢献をするでしょう。

時には私たちは、輝くような至福の事象の中で我を見失い、
又、時にはまったく悲惨な事象の中で我を失います。
けれども事象の渦の中で迷子になるかわりに、
いついかなるときにも、
事象の無い空間、
存在そのものの空間に戻ることができます。
これが、私からあなたへのとてもシンプルなメッセージです。

私は、
皆様の人生に起きた出来事や感情を直したり変える為にいるのではではありません。
直すことに反対しているのではありませんし、直せるものは直せば良いでしょう。

ただ、私の役割とは、

たとえどのようなことが起きようとも、
自由や平安や静寂という常に変わらない空間が存在することを、
皆様に指し示すことです。



















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静寂で在るとき、そこには何の苦悩も入り込む余地がありません


質問者    最終的な救いとは何かというあなたの問いかけがありましたが、

 

私は、救いや助けとは、救いが必要な人の面倒を見て、必要な何かを変えてあげることのようにずっと信じてきました。何かを正したり直したりすることのように思ってきました。

 

ガンガジ   あなたがおっしゃる、面倒を見るというのは、どのような意味ですか?

 

質問者    重荷を一緒に背負うという意味かもしれません。

 

ガンガジ   なるほど。

 

質問者    頭の中では、それは違うとわかっています。

でも実際にはわかっていません。

 

身体としての私はずっと以前から、いつも誰かの重荷を背負ってきました。

その延長線で職業も医者を選んだのだと思います。

 

あなたは、ただ、STOP とおっしゃる。

その言葉を聞き、止めた、瞬間というのが私の人生の中にもありました。

とても静かなので、聖なる瞬間と、私は呼んでいます。

先ほどお話しになった女性が、今この瞬間に注意を向けると、そこには何も問題がない、とおっしゃいましたが、私もそういう瞬間を経験したことがないわけではありません。

 

でもほとんどの場合、私はいつも何かを背負って生きています。

誰か他の人の荷物、そして私の荷物、という具合にもっともっと重くしてしまいます。

 

そうでなければ、全く無視して何も見ないようにするかのどちらかです。

 

ガンガジ   最終的にはどちらもうまくいかないとおっしゃっているわけですね?

 

質問者    その通りです。

 

背負いすぎて病気になりました。

 

ガンガジ   私たちはお互いに手を差し伸べ助け合います。

助け合う必要があります。

でもそれは相手の重荷を自分に取り込むことではありません。

 

誰かを気遣うということの意味を私たちは勘違いしています。

“手放せば軽くなる” ということを、私たち自身を使ってただ相手に見せてあげる代わりに、重荷をどんどん取り込んで自分のものとしてしまいます。

 

あなたがおっしゃることはよくわかります。

私も以前そのようなことがありました。

 

助けたいというのは、 私たちのとても美しい部分からやってきます。

お互いのつながりを感じ、なんとかしたいのです。

ですからそれが間違っているのではありません。

助けたいという一体感が私たちの中にあるのは感謝ですね。たぶんそのように作られているのでしょう。

 

けれども、ここで、一体、助けとは何だろうかと叡智を用いて調べてみることができます。

 

人々がパパジに、

「あなたはどのようにして助けるのか」と尋ねたとき、

パパジは、このようにおっしゃいました。

「まずは、無思考を生じさせる。

静寂でいる。」

 

静かにする、とは話をしないという意味ではありません。

目の前にいる人が必要かもしれないことに対して何の手段もとらないという意味ではありません。

 

静寂であるときは、なんの苦悩も入り込む余地はないのです。

 

たとえ一日の終わりに、あなたが誰かの苦しみを感じているとしても、

あなたはご自分の身体をいたわることができます。

あなたご自身をも含めて、救済することができます。

 

重荷を下ろし静寂を招き入れる。

あなたは元々静寂なのですからそのようなことができます。

 

人を助けたいという願望は素晴らしいです。

さきほど、止まりたいと、おっしゃいましたが、その意志をサポートしましょう。

 

静寂のなかに止まり、

あなたの中に、

“せねばならない” という思いがあるかどうかに気づいてください。

もしそれがあるなら、たとえご職業上のことだとしても、一歩さがってよくご覧なさい。

せねばならないというのは条件付けです。

社会の中には、せねばならないという、むち打ちがあります。

 

真の救済には、せねばならない がありません。

それはまったく自由にわき起こります。

 

患者を診るなという意味ではありません。

 

真の救いは静寂を通してやってきます。真実のあなたに気づくことでおこります。

 

私たちはお互いに受け取り、与え合います。

まず、静かにじっと動かないという意志を持ってご覧なさい。

 

 

 

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失うという悲しみよりももっと深いところに


質問者   日本で起きた震災に大変心が痛みます。

惨状の映像に、言葉もありません。

 

多くを失ってしまった人々を思うと、

張り裂けるような胸の痛みを感じます。

たくさんの人々が未だに大切な人を探しています。

 

様々な感情が私の中にわき起こり、消えていきます。

 

けれども、

感情が揺れ、動揺のまっただなかにいようとも、

注意を、“今ここ” に向けると、

そこには常に変わらないものがあるのです。

 

ガンガジ   ええ。

 

そのとおりです。


質問者    静寂です。

 

それは、常に今ここにあり、どこかに消え去ることがありません。

 

失うという悲しみの中でも、

それよりももっと深いところに、決して変わらず在ります。

 

ガンガジ   まさにそのとおりです。

すばらしいです。

 

質問者    あなたが伝えてくださいました。

深い感謝でいっぱいです。

 

ガンガジ   こちらこそ、ありがとうございます。

 

質問者    思考や感情を追いかけるのをやめると、

“静寂” “愛” がもともとそこに在ったことがわかります。


今この瞬間に注意を向けると、そこには何の問題もありません。


最終的な救いです。

 

ガンガジ     素晴らしいご報告です。

 

そのとおりです。

あなたの言葉は私たち皆に大変深い静寂をもたらしています。

 

そして愛を受け取っていることへの感謝。

 

本当にありがとう。

 

惨状を目前にしながら、“静寂で在る” ことにより、

あなたは実際にここにいる私たちに救いをさしのべてくれています。

それは驚くほどの救いです。

私たちはこのようにお互いに与え、受け取り、サポートをし合っています。

静寂は、私たちに、全く何の努力もなく自然に伝わってきています。

話をしてくださりありがとうございます。

 

どのような状況の中にあろうとも、

私たちは静寂を見いだすことができます。

 

悲惨な出来事は、世界各地で常に起きています。

それは、個人の中に起きている場合もあります。

何万人、何百万人という人々に起きる場合もあります。

 

そこには共通性があります。

 

共通性とは、

 

『私』という個の、特有の形の中に、

失われる悲しみや痛みとしてあります。

 

けれども

悲しみのもっと奥に、決して失われることがない、

“いまここに在る意識” という救いとしてあります。


あなたが今おっしゃった通り、

静寂、や、愛、としてあります。

 

これが私がお話ししている最終的な救いです。

 

いますぐにできる物理的な救済というものがありますが、

私がお話ししているのは、

最も最終的な救済です。

 

生きている地球に変化が起こり、

その結果多くの人々が津波に流されました。

何の罪もない人々です。

 

私たちは皆、人生が残酷であることを知っています。

 

けれどもそのことと戦わずに、向き合うことができます。

選択があります。

 

私たちは、自分が全く無力であるということ、不完全であるということと向き合い、心を開くことができます。

 

そうなると、人生は変わることのない安らぎを与えるでしょう。

 

静寂は、どのような騒音にも妨げられることなく、

つねに、今ここに在ります。

 

 

 

 

 

 

               

 

    

 

 

 


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最終的な救いはどこにあるのでしょうか

 

ガンガジ    私たちは現在、世界の様々な場所で崩壊を目の当たりにしています。

 

物理的、感情的な崩壊としては日本やニュージーランドで起きた地震があります。

政治的な崩壊では中東。

 

私たちが知らない地球上のいろいろなところでも、それが起きています。

 

再生の中にさえ崩壊があります。

個人的にも地域的にも、物理的、感情的崩壊というものがあります。

 

そしてそれは大変に自然な “変化” です。

変化は、私たちの宇宙、この地球においては自然なのです。

 

変化が起きると私たちは何かを失います。

何千マイルも離れている日本で起きた崩壊で、私たちはそれをはっきりと目にしました。あらゆる面で私たちに影響を与えています。

 

世界で起きている崩壊は、そのように私たちすべてに影響するのです。

 

特に崩壊の間近にいる人々への影響は多大です。

私も、ガンガジファンデーションもサポートが必要な方々への援助を惜しみません。 

 

日本、ニュージーランド、中東、アフリカ、

米国の各州議会議事堂でデモにかかわっている両サイドの人々。

崩壊や再生が起きていて物質的な援助が必要な人々、

いまそこにおられる皆様へのサポートを惜しみません。

 

精神世界では、精神と物質を切り離す方々がおられますが、これは分離した考え方です。物質も精神世界も離ればなれではありません。一つです。

全体です。

 

しかし、一方、

精神世界という一つの側面から差し出すことができるサポートというものがここにあります。

 

それは、いまここにある真実、

意識的な “静寂” です。

物質面での救援があろうがなかろうが、そのようなこととはまったく関わりなく

私たち一人一人の中にあります。

 

静寂はいまここにあります。

 

個人という意識によって、

つねに今ここにある “静寂” に意識的で在ることは、

他の人々への、計り知れない程大きなサポートになります。

 

サポートとはどのようなものでしょうか。

最終的な救いは、どこにあるのでしょうか。

 

たくさんの援助や、ヒーリングがあるでしょうが、

私は今日、意識的な存在でいる、静寂でいる、開かれて在る、ということで皆様と対話します。

 

GANGAJIと共にのフォラムに、はるかが

震災を目の当たりにしている、胸が裂けるような悲しみと、

静寂で在ることで、受け取り、また与えられることについて既に触れ、

私たちに差し伸べてくれました。

 

破壊や崩壊を目の当たりにすると、

私たちは、大きな痛みを感じます。深い悲しみに打たれます。

 

スピリチュアルな目覚めには、悲しみがないというように誤解している方がおられますが、

これは、本当ではありません。

 

悲しみがあります。

悲しみは、物語にとらえられ、不必要に苦しむこととは全く異なります。

 

村の人々がラマナのところにやってきて、彼らの人生の物語を語ると、

ラマナは、号泣しました。

失うという人間的に共通の悲しみの中で、深く嘆きました。

 

けれども、 失うという悲しみの中で、

それよりももっと深いところに、永遠に変わらないものがあります。

 

静寂は、どのような騒音にも妨げられることなく、つねに今ここに在ります。

 

最終的な救いはどこにあるのか、

問いかけてご覧になってみてください。

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