真実のあなた | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
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しあわせ


ガンガジ    まあ。
 
ここでお話しがしたいのね?
どうぞいらっしゃい。
        
これは身体の年齢とは関係がないものね。 
      
質問者(12歳くらいの女の子)  あなたがおっしゃっていることって、私の学校のクラスの先生が、私に言ったことと同じだと思いました。

え〜と、、、、

なにもせず、そのままでいて、いいんだって。
       
ガンガジ    (にこにこしながら)
あなたにとって、それはどういう意味なのかしら?

質問者     え〜と、
それは〜

私は変わらなくてもいい。
このままの私で、いいっていうことです。

ガンガジ    素晴らしいわね。

質問者     変わりたければ、変わってもいいけれど、
変わらなければいけない、っていうことはないんだということ。

ガンガジ    そのとおりよ!
本当の自由よ。

変わる必要はない。
でも変わりたいなら、変わればいい。

質問者     そう。

(会場 ガンガジ ため息)

ガンガジ    (微笑みながら)

こんなふうに人生を始められるなんて、最高ね。

質問者     はい。

ガンガジ    あなたは、クラスの先生のそのようなお話を聞いたときに、そして、今ここでも、同じような話を私から聞いたわけですが、
どのように感じましたか?
身体のどこに、どんなふうに感じましたか?

質問者     よくわからないんですけど。。。

ガンガジ    じっくり調べてみましょうね。

身体の中がどんな感じがするのかを、調べてみましょう。

悲しい感じがするの?
それとも、嬉しい感じ?

どんな感じなのかしら?

質問者    (もじもじ)

ガンガジ    もちろん大勢の皆さんの前で話すのは緊張するし、恥ずかしいわよね。

恥ずかしい気持ちの他に何がありますか?

自分は変わらなくてもいい、
でも、変わりたければ変わってもいいって、気づいた時、
どんな気持ちがしたのかしら?

質問者     ええと。

幸せなかんじ。

ガンガジ    そうね。幸せね。

質問者     そう。。。

ガンガジ    みんな、幸せでいる自由があるのよ。

質問者     はい。

ガンガジ    とってもラッキーね。

なんて幸せな人生でしょう!
素晴らしい先生に恵まれ、大事なことを思い出せるようなサポートがあって。

そのとおりです。

だれにでも、幸せでいる権利があるのよ。

質問者     はい。

ガンガジ    美しいですね。

皆にお顔を向けていただけますか。
皆があなたの気づきの恩恵を受けられるように。

なんて新鮮なのかしら!

(会場 皆が微笑んでいる)

ガンガジ    

ここから見る風景は、とっても素敵でしょう?
みんなの顔が見渡せて素敵な景色でしょう?

質問者     (にこにこしながら)

はい。

ガンガジ     どうもありがとうございます。

質問者      ありがとうございます。

ガンガジ     そのヘアースタイルは、最近流行っているの?

質問者     (笑いながら席に戻る)
ちょっとだけ流行っているかなあ。

ガンガジ     ありがとう。

う〜ん。
すばらしいわねえ。

この子と同じ年齢の頃に、私の先生たちがなんと言っていたかを考え起こしてみるなら、、、

(ガンガジ笑いながら)

1950年代の、
ミシシッピー州の学校で、先生方がどのようなことを生徒に言っていたか、
皆さんには想像もできないでしょうねえ。

(会場 笑い)

私たちの中には、”うまれながらの幸せ” があります。

それなのに私たちは、
幸せで在る、という元来の権利を拒否しています。

あなたが信じてきた権利とは、
そうしなさいといわれた通りにする権利であり、
また、それまでやってきたよりも、もっとうまくやる権利でした。
当然のようにそう受け入れています。
社会化の一部でしょう。

最近は、目覚めた人たちが教えている学校もありますから、例外もあるでしょうが、
歴史的に見ると、学校はそのような場でした。
宗教の世界も同様です。
私たちには、幸せな存在として生まれ持った権利はない、
幸せになりたければ獲得しなければならないのだと、
学校も、宗教も、あなたをそう確信させてきました。

私たちは、
誰かが考える通りに行動すれば幸せを獲得できると思い込み、そのようにして生きています。
もちろん絶対に獲得することなどはできません。
獲得できるような何かよりも、大きいからです。

しかしあるとき気づきます。
形をもった命としての制限に。
特に年齢を重ねると明らかになりますね。

そしてもちろん、何歳だろうとかなわないのですが、
あるとき、
生まれながらにして持っていた権利が、常に喜んで自分を迎えてくれていたのだと、気づきます。

真実の幸福です。

快楽だとか、娯楽というような幸福のことをお話ししているのではありません。
快楽や娯楽も魅力的ですが、それらは、現れては消えていく、形です。
一時的な幸福です。
形は移り変わります。

私は真の幸福のお話をしています。
快や、不快の体験にかかわらず、変わらずに存在する幸福の話をしています。

あなたが、変わろうが変わるまいが、そのようなこととは関わりなく、いつも存在している幸福。
それが真実のあなたです。
常に、いまこの瞬間に、
いまここに在ります。

現実に何が起きていようが関係なく在ります。
それが、あなたそのものです。

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私たちの本質は複雑でしょうか? シンプルでしょうか?
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最近、これまでにあまりお会いすることのなかったタイプの方々と対話をする機会が増えました。
ミュンヘンでは、社会的に大成功をおさめている女性たちの会議に呼ばれましたが、
以前は、彼女達のようなタイプが、私の話に興味を持つとは想像すらしていませんでした。
ベルギーや、アムステルダムでもそうでした。

どれだけ多くの力を身につけても、力では決して満たされない何かがあると、
気づき始めている方々が、世界中に増えています。
いろいろなところで、多くの方の準備ができているのです。

さて、この方々から私に寄せられるご質問も、
長い間、探求を重ねてきた、ここにおられる皆様のそれとまったく同じです。

私が師から受け継いだ招待状は、大変にシンプルです。

” 内側での会話を止めよ。
そして、会話を止めたとき、ここに存在しているのが一体何であるのかを見いだし、
それで十分かどうか、
ただそれだけで、充足かどうかを調べなさい。”  

それだけです。

たったこれだけの教えであるのに、
人生のすべてを捧げられる程、奥深く調べることが可能です。

しかしながら、
私が皆様から受け取る質問というのは、

「一体どうすれば、”止める” ことができるのでしょうか?」

また、ある時皆様は表現を変えてこのようにおっしゃいます。

「ええ。あなたの前でならできることもありますが、一人になると無理です。
「家ではできません。」
「職場では無理です」
「子供がそばで泣きわめいているときは不可能です」
「状況次第では難しいです。」

皆同じですね。

そして、私の返事は、表現は異なっているかもしれませんが、実際には常に同じです。
『あなたに覚悟ができているかどうか。』
と、私は申し上げています。

ご自分が何を欲しているのかを問いかけてごらんなさい。
問いかければ、覚悟ができているかどうかがわかるはずです。

もしあなたが、困難を感じておられるのならば、
『自分は何を本当には欲しているのだろうか』と、問いかけてみてください。

なぜなら、
あなたが本当に欲しているのが、
議論だとか、解明だとかというように、
頭で理解してなんらかの答えを絞り出すことであるのならば、
考えるのを止めるのはまったく理にかなっていないからです。
考えるのを止めたら、当然、答えを解き明かすことはできませんね。

でももし、あなたが真に欲しているのが、平安や、静寂や、真理そのものであるのなら、ただ一瞬、考えるのを止めてください。
解明するのを止め、理解しようという目的で何かをするのも止め、解き明かすのも止め、そして、もう既に存在しているのは何だろうかと、ただ意識を向けてご覧なさい。

考えることに害があると、申しているのではありません。
思考することで人類は多大な発展を遂げました。
思考には重要な役割があります。

けれども、私たちが、思考に頼りすぎていることで、
不必要な苦しみが生み出されているということを、私は指摘しているのです。

平安や、真実は、考えるのを止めれば即座に今この瞬間に見いだされます。

「でも、次の瞬間はどうなるのでしょうか?」

このような質問が浮かんだとしたら、
これも『次の瞬間にどうなるか』を解明したいという思考です。
この後どうなるのかを理解したい、答えを考え出したい、
答えを知りたいわけです。

答えを解明するのを、進んで止めれば、
答えは常にここに在ります。
シンプルです。

今夜、私は皆様に問います。

何がシンプルで、何が複雑なのかと。

”真理” は、複雑でしょうか?
シンプルでしょうか?

私たちの物語の現れはシンプルなこともあれば複雑なこともありますが、
私たちの本質はどうなのでしょう?

私たちの本質、
私たちの源は、複雑でしょうか?
シンプルでしょうか?

私の発見によると、
私たちの本質はシンプルです。


真実の私はシンプルです。

非常に深遠ですが、シンプルです。

いかがでしょうか。

皆様も、ご自分で見いだしてご覧なさい。



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最も崇高な真実


最も崇高な真実、

それは、

未だかつて明言されたことがありません。

 

歌われたことも、

文字にされたこともありません。

 

誰の手も届かないほど遠いところにあるからではありません。

それは、あまりにも親密で近すぎるからです。

表現することができるどのようなものよりも、

もっと近くにあるからです。

 

それは、

あなたという存在の、まさに中心に、

“静寂 として生きています。

 

私の中でも、彼女や彼の中でもなく、

あなたの中です。

 

あなたという “存在” の核心である

静寂の中に息づいています。

 

あまりにも近くに在るが為に、表現することができません。

あまりにも近くに在るが為に、対象としてとらえることができません。

あまりにも近くにあるが為、

私たちが普段対象を認識するような方法でそれを知ることはできません。

 

でもそれはもう、既にあなたの中にあります。

存在しています。

 

私があなたの意識の中に現れた理由はたった一つ、

そのことをあなたに確認する為です。

 

あなたにお教えすることなど、私には何もありません。

それに多分どのみち、

あなたの方が私よりももっと良く知っておられることでしょう。

 

師と呼ばれる方々はこれまでもたくさんおられ、

それぞれが、

非常に美しく、真実で役に立つ行動作法や、

瞑想の方法、この世界に生きるすべや顕現の方法などを教授されてきました。

 

でも、あなたの意識の中に現れたガンガジと呼ばれるこの現れは、

あなたの核心に静寂が息づいていることを、

単に指摘するだけです。

 

そして、

 

あなたの注意をそこに向け、

生きることをそれにまかせ、

あなたの中に起きる疑問も答えも、

それに委ねてはいかがかと、

お誘いします。

 

失敗も成功も、

形としてのあなたも、形にならないあなたも、

あなたの行動も、行動にならないあなたも、

あなたの選択や、選択しようのないあなたも

そういったすべてを、

それらがもともとやってきたところ、

天地創造よりももっと遥かなところへかえすようにと、お誘いします。

 

それが可能なのは、

あなたがその静寂そのものであるからにほかなりません。

 

もしもあなたが、

『これが自分だ』と考えておられる人なら、

どのような努力をなさっても、意図をなさっても、

それは不可能です。

 

思考の本質がそうであるため、

あなたが、あなただと思っておられる人には制限があります。

思考はいかに偉大であっても制限があります。

 

でも、“真実のあなた”

語られたことのないそれは、

知ることができる何よりも、もっとあなたに近いのです。

 

“真実のあなた” 

それは、あらゆるすべてが現れ出る 源“ です。

 

 

 

 

 

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