はるかの体験 | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
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ゆだね続ける
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ご質問をいただいております。
同様の質問をよくいただきますので、いくらかでも皆様のご参考になればと
思い、ガンガジの言葉を交えながら、はるかの体験を記事にしてみます。


>>目を閉じて何も考えなくするとボーっとしてきて眠くなり、気づいたら寝てしまう自分がいます。
これがガンガジの言う静寂=真我ですか?

>>頭がボーっとしてると意識があまりなく、言われてみれば多少静寂を感じてるのかもしれないですが、よくわかりません。

>>気づいている意識はなんとなくわかりますが、ガンガジやはるかさんのように、愛や平安というふうには感じられません。

>>そもそも瞑想しないと感じれないものでしょうか?
参考にはるかさんの体験や気づきなどの話が聞きたいので、お時間あれば教えてください。



私たちは皆、物差しで計ることを長年学んできましたから、
確認を求めたり、人が言っていることばと比較して、
自分の体験の位置づけをする習慣を持っています。
「生きのびる上で必要だからできた理性の習慣」とガンガジが表現されているとおりですね。

「ガンガジが言っているのはこういう静寂のことなのかな?」
「これでいいのかな? 私はちゃんとやれているのだろうか?」云々。。。

でも、ガンガジの話に惹かれ、
自分で気づいていない真実が、本当にここにあるのかどうかを確かめたい気持ちが起きたなら、
自分や世間に、物差しがあることに気づき、いったんそれを脇に置いておく必要があります。

なぜかというと、
真の静寂の体験は、理性で判断し計ることができないからです。
ガンガジは、
理性とは左脳の働きであり、
真の体験は右脳で起きると説明されています。  

制限の無い体験を言葉で表現するのはとても難しいですね。言葉には制限がありますから。。。
ガンガジはそれを、時には静寂とおっしゃり、また、
愛、平安、気づきの意識、本質、源、充足、空、全く何も無い空間、それ、セルフ、I  AM,、宇宙。
というように、様々な言葉を使って表現されています。

それらすべてをひっくるめてもまだ表現しきれません。
それなのにもっともっとシンプル。。。

制限の無い体験を、理性で吟味して ”わかる” のは、不可能です。
左脳で ”理解” することはできますが、
先に書いた通り、左脳の、”理解”と、
右脳の、”わかる体験”、はまったく異なります。
(体験してみて気づきました。。。)


>>多少静寂を感じているかも、

ですから、
このようにたとえ不確かであっても、
解説するのを止めて、
ぜひ、ご自分が垣間みた平安そのものを信頼なさるようにおすすめします。

自分の体験を信頼していると、体験が自ずと導いてくれます。
はじめは不確かであっても、
あれこれ判断するのを止めて体験を信頼していると、自分の中で少しずつ確かになっていきます。

お読みになったはるかの言葉は忘れ、ガンガジの言葉にさえもとらわれず、
ご自分の体験に委ねるのが近道です。

>>愛や、平安というふうには感じられない

わからないならわからないまま。
ぼんやり感じておられるなら、ぼんやりしたまま。
体験に名前をつけるのを止め、
理解しようとするのも、止める。

ゆだね続けるのみ、です。

眠くなるのなら、それもまたよし、です。
頭でわかろうとするのを止めてごらんになるように、おすすめします。 

>>そもそも瞑想をしないと感じられないものなのでしょうか?

ガンガジが次のようにおっしゃっています。

『 瞑想の素晴らしい効能はたくさんあります。
瞑想がきっかけとなり真理を発見された方々もおられることでしょう。

けれども、
瞑想をしなければ、、、、
グルの恩寵が無ければ、、、
特別な修行をしなければ、、、、
選ばれた人々にしか、、、、
というように、特別な条件が無いと発見できないようならば、それが真理といえるでしょうか。

真理は無限です。
真理には一切の限定がありません。
私がお話ししているのは、
特別な状態にいないと発見できないような何物かではありません。

起こってはやがて消えてしまう愛や、静寂や、至高の体験は、ある種の状態です。
私は ”状態” のことを話しているのではありません。』(ガンガジ)


ガンガジは、
平安を感じていようが、ざわつきを感じていようが、
そのような ”状態” にはまったく左右されず、
常に変わらずに存在している、
私を超え、かつ、私をも含めた、
一切が生じては消えていく ”源” を語っておられます。

このブログでも、
ガンガジと対話をしながら自己調査を進める中で、
怒りや絶望や自己嫌悪や恐怖、といった感情の最奥に、
愛や静けさを発見された方々の記録をご紹介していますが、

ガンガジの指摘をもとに、
様々な感情を一つ一つ調べてみることで、ある時はるかに起きた気づきは、
感情の源はたったひとつ、”愛” だということです。

愛でなければ、私たちの感情は起きません。
愛でなければ、心は揺らぎません。
愛でなければ傷つきません。

愛されたくない人がいるでしょうか?

誰もが、愛されたい、そして実は、愛してやまない存在です。
こころの片隅で、本当は皆覚えています。
私たちの本質は愛です。
(理性が考える愛は、ここで記述した愛ではありません。)

様々な人間の感情がやってくる、この、愛と認識される源は、
表面の私の ”状態” がどのようであれ、現れたり消えたりすることがありません。
まったくおなじ ”源” が、常にかわらずに存在しています。

注)ご自分の感情を調べてごらんになるのに、
感情が生じた ”物語” に入り込む必要はまったくありません。 
物語を反芻せずに、感情の源を調べるのは可能です。

そのようにして調べてみると、
ガンガジがおっしゃるように、
感情は身体に起きるエネルギーの変化だということに気づきました。
愛という言葉を離れてみると、
ただ何も無い静寂な空間というふうに認識されました。
そして感情はエネルギーの変化として、その中でわき起こり、消えていくのがわかりました。

生きていれば、当然どこからか風が吹き、
風が吹けば、当然、波が立ちます。荒波も小波もあります。

けれども、いったん ”源” に気づくと、
表面の波がいかようであれ、
表面の揺らぎではなく、源に、焦点を合わせることができるようになります。
先に記したように、
愛、平安、気づきの意識、本質、源、充足、空、全く何も無い空間、それ、セルフ、I  AM,、宇宙。
と、表現は違いますが、指し示しているのはまったく同じです。
どのような環境や、状況にあっても、”それ” がいまここに在ると認識できます。

『あなたは、
真実に気づいたなら、もう二度と心が痛まなくなると思っていらっしゃるかもしれませんが、そのようなことはありません。
もっともっと痛みますよ。

何か、特別な存在になると、思っていらっしゃるかもしれませんが、
そのようなこともありません。

目覚めているから、よりスピリチャルで優れているとか、より聖なる存在だとか、
そのようなこともありません。

あなたの ”セルフ” は、あなたが目覚めていようがなかろうが関係なく、
存在しています。』(ガンガジ)

ガンガジの誘いは、
風が吹かないようにする画策ではなく、
風が吹いても、波立たないようになる訓練でもありません。

表面がどうあろうとも、
微動だにしない本質に気づく。
”あなた” を通して、帰還する。 
そのような誘いです。


ガンガジのとても素敵な言葉がありますのでご紹介いたしますね。

『あなたは ”愛”。

そのことをお伝えするのは私にとって大きな歓びです。

あなたは、
歓びに満ち、神秘的で言葉にならない、”愛” そのものです。
といっても、それはあなたが自分だと思っているあなたのことではありません。
あなたが自分だと信じ込んでいるあなたは、
本質の中にわき起こっては消えていってしまう事柄でしかありません。
本当のあなたは、”本質” そのものです。
そして本質は、”愛” です。』(ガンガジ 愛と感謝 DVDより)


お読みくださった方々へ、そして質問を寄せられた方々へ、
心から感謝いたします。

Love,
はるか








































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