決して変化しないのはなにか | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
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どんな嵐でも、現れた事象は必ず去っていきます


ガンガジ

嵐はやってきては、やがて必ず去っていきます。
それがこの惑星の法則です。

実験的に、自分ではどうにもできない物事がやってきたと仮定してみましょう。あなたの人生にそのような出来事が今起きていないとしても、単にそのように想定し、実験してみるのは有意義です。

『どうしようもない。もう何もすべがない。』

さあ、ここに、実は特別な選択があるのです。

あれこれ画策を巡らさず、単に静かにしている、という選択です。
どのような表現でもよいですが、
私は、心を開くというふうに表現してみます。

静かにしていると、どのような事柄もやがて去っていくのがわかります。現れた事象は、それがどのようなものでも、やがては消えていく。これが自然の法則です。
感情的なことも、精神的なことも、状況も、物理的な事柄も、すべては動きです。この惑星の出来事はすべてが動いているのです。
わき起こり、死んでいきます。

何分静かに座っていようが、時間にとらわれる必要はありません。
以前私は、瞑想をするためにタイマーを設定していたことがあります。
一体いつまで座っていたらいいのかしら、何分経ったのかしら
と、気になって仕方がなかったので、タイマーが知らせてくれるようにしました。でも、タイマーを使ってみると、今度は、
まだ終わらないのかしら。
薄目を開けてみて、あら、まだ5分しかたってない。タイマーが壊れちゃったのかしら。
と気になり始めるのでした。(笑い)
20分座るなんて大変でした。
普段何気なく過ごしている20分間とは異なり、
静かにしている20分間には、宇宙のすべてが現れてきますから。

実際には私たちは時間の制限から自由です。
100%今ここにいる。心を開いて、在る。
今ここは永遠です。

私がお話ししているのは教義ではありません。
静かに座る時間を作らなければならないんだなとか、
どのくらいの時間静かにしていればいいのかなとか、
静かに座って事象を過ぎ去っていかせればいいのだなと、教義のように考えるかたがおられますが、
そのように考えると、今度はそのこと自体が嵐となってしまいます。
判断したり、決めつけたりという精神的な嵐です。

嵐が現れようが、様々な状況が現れようが、静かにしていれば、過ぎ去っていきます。

どこにも動かずただ静かにする。
そうすると、『常にここにあるのは何か』がわかります。

自分で選ぶことができない、現れては去っていく事象のもっと奥に、自分では選ぶことができない、現れたり消えたりしない真実があるとわかるでしょう。

私たちは普段、現れては消えていく事象に気を取られ、そればかりを見ています。ある事象を留まらせようと躍起になったり、ある事象が二度とやってこないようにと奮闘していますが、疲れませんか?
ヒステリーのようですね。いずれは笑えるといいですね。

私たちは人生のすべてを傾けて、絶対にできないことに力を注いでいます。現れては去っていく事象を留めおくことなどできません。やってみてください。もう充分にやってごらんになったのでしょう? それなら、もう一度やって、よくみてください。

「うん、やってみたよ。失敗したけれどね。
でも今度は希望が持てるんだ。違う方法を学んだからね。
方法が間違っていたのかもしれないんだ。
決められた時間座っているとか、マントラを唱えるとか、
何か違う方法があるらしく、それを習得すれば、現れては去っていく事象を留めておくことができるらしい。」

そう思っておられるのなら、あなたは魔法を手に入れたいのです。
スピルチュアルな世界を探求すれば、魔法に巡り会えるとお思いの方がおられます。ある種のパワーはあるでしょうが、パワーが現れては消えていくのは、精神世界もほかの世界も同様です。
パワーを留めておく魔法を探しに精神世界に来られたならば、魔法などはありませんと申し上げます。
『魔法という希望』 それを捨てる意志があるかどうか。
魔法があるとすれば、これが本当の魔法です。

解放ではありませんか。
なんという重荷を背負って生きていたことか。

魔法を手に入れるにはどうすればよいか。魔法を留めるにはどうすればよいか。魔法を味わったとしても、魔法の力はやってきては消えていくのです。

はじめてドイツで集会を開いたとき、
人々がおしゃべりをするのを耳にしました。男性、女性、怒りや、喜びの声、など、ドイツ語の会話が行き交っていました。しかし私はドイツ語がはなせないので、一体何が話されているのか理解できませんでした。まるで、鳥のさえずりのように聞こえました。
ドイツの鳥ですね。(笑い)
とても素敵でした、人の声が聞こえても何が話されているのかがわからないというのは。(笑い)
単なる音です。

そのことを皆様にお伝えすると、どなたかがおっしゃいました。
なるほど、心の中のおしゃべりを、ただ単に音のように聞き流すこともできるんだな。

私たちは、解説したり判断したりと、単なる音であるのに、それを現実としてとらえます。でも単なる音にすぎません。
音だとわかったら、追従するのをやめることができるかどうかを自己検証してみてください。
音そのものも、静寂も、実質的には同じです。
音はその性質として起こっては消えていきます。
静寂はその性質上、常に存在しています。

大変にシンプルですね。

真実に触れるきっかけはいろいろあるでしょうが、私たちは始めは炎のように燃え上がるものです。
誰かの話を耳にしたり、本を読んだり、恩寵だったり、深い体験があったりして、引きつけられます。
しかしその後、何か問題が起きて、
「う〜ん、だけどなあ」と
疑いが起こります。
そして、心の中で会話が始まります。

心の会話が始まったら、外国語だとおもってみるのはいかがでしょう。
重荷など何もないことがわかります。
たとえどのような会話がわき起こっても、
わき起こったり消えたりしない、常に今ここに在るのは何かを発見する権利は誰にでもあります。
誰にでも可能です。

ここに来られた皆様は、この可能性に対して、Yesとおっしゃった方々です。

祝福します。


決して変化しないのはなにか comments(9) trackbacks(0)
私をやめるのは可能でしょうか /私を引き起こす為に一体どんなことをやっているでしょうか

ガンガジ   私は、パパジに出会うずっと前、瞑想をしていると広がる空間や、自分のことも他人のことも何も考えずに過ごせる時間を、完璧な現実であると感じていました。

パパジに出会った後も、何時間もパパジの前に静かに座っていると、とても祝福された気持ちになりました。

愛する人と一緒の時や自然の中で過ごしている時にも、そのようなことが起きましたが、特に瞑想は、自分を特別な瞬間に置く為の道具のように思えました。


ところがある時パパジに、自由になる為にはどうしたら良いのかと尋ねますと、彼は、「なにもするな」と言ったのです。


「えっ? どういう意味? なにもするなって?

瞑想や、マントラを唱えるというような、ある種の訓練以外のことはするなという意味ですよね?」


その頃の私は、瞑想の他にマントラも熱心に唱えていましたから、

私がそのように尋ねると、パパジは、

「なにもするな。君がやっていることのすべてをやめるんだ」と言いました。


そう指摘されると、見えてきたことがありました。

そういえば私は、瞑想を ”やって” いました。


つまり、瞑想している時、

「今日の瞑想はうまくいったわ。」とか、

「いつもはもう少しちゃんとやっているのに、今日は全然だめだわ。」

という具合に、うまく行ったときは至福で満たされましたが、うまく行かなかったときはそうではありませんでした。


明らかに、自分の本質を得る為に、”私” が何かを ”やっている” のでした。


パパジは、世界中の国々からやってくる、瞑想の達人たちに会っていましたが、

「真実を得る為に重荷を作り出しているだけだから、努力をするのをやめなさい。全部忘れてしまいなさい。」と私に言いました。


「君は何かを ”得よう” としているね。

ということは、本当の自分自身を、本質とは別物だというように考えている訳だよ。本来の自分自身を見いだす為に、何かをしなければならないというのは大間違いだ。」と。


パパジが、身体や精神や感情、そして世界に対する瞑想の効用を否定していたという訳ではありません。


彼は、真理はある特定の状態の中にしか存在しない、というように、私たちが限定してしまっていると指摘したのです。


瞑想の状態にあるときだけ真理が存在する、

と限定すると、私たちは真実を見失ってしまいます。


パパジは時々私たちをインドの市場に連れて行きました。

市場は、臭いや喧噪が強烈で、まったく聖なる場所のようではありません。私は、すぐにでもパパジの部屋に戻り、静かに瞑想をしたいと思ったものでした。

しかし、彼は、

「市場だって、同じなんだよ」と、言うのです。


そして私が、アメリカに帰国するとき、

こんなにも素晴らしい場所を見つけたというのに、もう帰らなければならないなんて、と嘆くと、

パパジは私に、

「どんなことをすれば、本質から逃れることができるのかなあ?」

「本質から離れられるのかどうか、君は自分で見いださなければならないね。」と言いました。


その後私はインドを去り、アメリカへ帰ってきた訳ですが、

自分の家の居間で、インドでの生活や、パパジの前にいつも存在していた恩寵を恋しく感じていました。

ところが、そのような時に私は、

「一体どんなことをすれば 本質から逃れられるのか」と、パパジが語りかけるのを聞いたような気がしました。


彼は、「 ”それ” を得る為には何をすれば良いか。」とは言いませんでした。

「一体どうしたら、それからのがれることができるのだろうか」と言ったのです。


”それ” を ”得る” ためには、”私” が何かをやる必要があります。

あるときは正しい、あるときは間違っているというように、

私がいろいろなことを考えたり、考えないように ”したり”、

行動したり、しないように ”する” ことで ”私” がどんどん養われ肥大していきます。


”私” が何かを ”する” のをやめる

というのは大変に重要なポイントです。

”私” を ”やめる” のです。


私が何かをするのをやめたら、どうなってしまうのかとても不安ですね。

植物人間になるかもしれないと思いました。

私を放棄すると、ちゃんと選挙ができなくなるかもしれない。(笑い) 

そんなふうな恐怖がありました。


でも、やってみようという意志がありました。

皆様の中にもそのような意志が見受けられますから、こうやってお話をしているのです。実際にやってみて、どうなるのかを確かめてみていただきたいのです。


静寂な瞑想の中で、もし ”私” が現れているのでしたら、それをやめればいいのです。

この集会が終わり、通常の生活に戻ったときにこそ、自分をやめてみたらいかがでしょう。


ラマナと、パパジの教えの根本は、

変化しないのは何か、を見いだすというものです。

わき起こったり消えたりしないのは何か、

を見いだすのです。

私たちが行っている会話は、いつもそのことについてです。

ここに静かに座っているのは、

”決して変化しない それ” を見いだす為です。


私たち人間は、会話をする動物です。

社会と、そして自分の内でも会話をしています。常にコメントを語っています。

そのこと自体に問題がある訳ではありません。

人間の生活を営む為の脳の機能です。


けれども、会話が現実であると勘違いしてしまうと、不必要な苦しみが生まれます。


ですから、私は皆さんに、実験に参加していただきたいのです。

教義だとか、訓練だとか、私がそう言っているからというのではなく、

”幸せな瞬間も、不幸せな瞬間も、ありとあらゆる瞬間に、自分をやめるのは可能であるかどうか” という実験です。


自分が現れるのをやめるのは可能であるかどうかを、ご自分で発見してください。


昔、あるグループのワークショップに参加したとき、特殊な能力や力を養う訓練や、考え方の練習をしたことがありましたが、

たった今、ここでは、それらのすべてを放棄し、自分をやめる実験をしてごらんになっていただきたいのです。

実験的にやってみていただきたいのです。


人間には、自然に好奇心がそなわっていますが、私たちはそれを否定するように育つことが多いですね。

特定の何かに従い、ある特別の文化や宗教の教えをひたすら信じ、そのようにして私たちは縛られます。

でも、縛られる必要などありません。

自由はもっと深いところに存在します。自由は、あらゆるすべての瞬間に、

”今ここ”にあります。


やってみようという意志を皆と分かち合うことは、創造以上に大きな、新鮮な発見につながる可能性があります。

しかしそれがどれほど大きいのかと想像することすらやめ、人間として生まれたが故に備わった力を一時的に凍結し、検証をするのです。


検証とは、問いかけです。

今日の私からの皆様への問いかけは、

”私” を引き起こす為に、一体どんなことをやっているのか、というものです。


たったいま、”私” をやめたならどうなるのか。


本来の私とは何なのか。

それを知るには一瞬で十分です。

いかがでしょう。

やってみてごらんなさい。


私はここにいて、教義をお伝えしているわけではありません。

皆と出会い、ほんのちょっと格闘していますが(笑い)

挑戦してみるようにと促しているのです。


あなたの心の内側で何が起きていようが、外側でどのような出来事が起きていようが、常に変わることなく、今ここに ”在る” のは何かを、見いだしていただきたいのです。

自由で、いきいきとして、愛に満ちた、”それ” を見いだしていただきたいのです。

お伝えしているのは素晴らしいお知らせなのです。


あなたの人生は、命の源から離れてはいません。

私という感覚は、すべての生き物の中にありますが、命の源から離れている訳ではありません。

私の話していることは抽象的なことではありません。

あなたの人生をあなたがどう生きるかについてお話ししているのです。

そしてあなたの体験を、皆と分かち合ってください。

















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