死と向き合う | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
死と向き合う


ガンガジ   死についてお話ししたいと思います。

死と言っても、いろいろあります。
毎瞬、毎瞬、死があります。
毎晩、眠りにつくのも死ですし、
恋人との関係が終わったときにも、そこに死があります。
子どもが成長し、家を離れるのもひとつの死ですね。

でも、今日ここでお話ししたいのは、肉体的な死についてです。
肉体としての生命の終わりについてです。

特に欧米の文化では、
肉体的な死は、何よりも避けられ、否定され、人の目から隠されます。
そして、そのように扱われているために、死の中にある大きな贈り物、宝物が見過ごされています。

このように申し上げますと、多くの皆様が、
『なぜ死の中に、宝物やプレゼントが隠されているのですか?』
とおっしゃいます。
そして、そのあとの言葉が、こんなふうに続きます。
『死んで無になってしまうなんて、恐ろしくてたまらないですよ。
その中に、いったい何があるというのでしょうか?』

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
先日、サンフランシスコ近郊の湾岸の町で、
長い間、サットサン(真理の集い)を主催していた、ヴァーゴが亡くなりました。

彼が亡くなる数週間前、私は、彼と一緒に過ごしましたが、
それは本当に大きな宝物でありプレゼントでした。
彼が亡くなる前の晩も、
幸運なことに彼と話をすることができました。
そして、亡くなった後も、遺体のとなりに座って過ごしました。
そこでは、死は、抽象的なものではなく、
実際にその場で起きていることでした。
観念ではなく、部屋の中で、死とともに過ごすという現実でした。
死が明らかに近づいてくると、
やがて、肉体としての生命を、そこから連れ去っていったのです。

ところがそのあと、
死の中で失われ、与えられたものの中に、
はっきりと、宝物が残りました。
それは、
そこにいることをいとわず、
彼の苦しみ、肉体的な苦しみや死と共にいようと決意していた私たちにとって、計り知れないほどの恩恵でした。

彼の死が特別だったことは、
彼が、死が近づいていることを知っていて、そのことを否定しなかったことでした。
病気と闘わなかったということではありません。
負けたということを知るまで戦い続けました。
でも、戦いは終わり、翌朝彼は亡くなりました。
すべてを手放しました。

ですから、私が今日ここで皆様にお誘いしているのは、病気とは闘わないという探求ではありません。
病気と闘っている間も、
死は、その時がくればやってくるのだということを知る探求です。
そして、ヴァーゴが出会わなければならなかったように、
そのことにしっかりと出会う受容力を持ち、
出会おうという意志を持った私たちすべてに証明するのです。

これは、ここにいらっしゃる皆様方のどなたにとっても、全く例外なく関わりの深い事柄です。

遺体に、立ち会ったことは他にもありますが、
フォメルドハイドでしたでしょうか?
防腐剤などのような、とにかく何であれ、見た目を良くする薬剤を注射し、
遺体をピンクや、バラ色にするのも、一つの死の形態です。
棺桶の中の、綺麗に飾られた姿を眺め、それから蓋を閉め、土をふりかけますね。

でも、そうではない、死の形もあります。
死んでしまった後、遺体には何の手も加えられません。
ですから、それは蒼白そのものです。
生きていないということは、疑う余地もありません。
私たちが覚えていたいようなヴァーゴに見せかけるための、ほほ紅や口紅をぬったりせず、きわめて生裸な死、という形態です。

しかし、進んでそこに居合わせようと決意をしたとき、
そこには、
絶対的な、否定することのできない美しさと、 永遠に生き生きと生きつづけている、『存在』がありました。
それは、
生きているように、ふくらませたり、手直ししたり、紅をぬったりする必要のない
『存在そのもの』でした。

ヴァーゴは消えていなくなってしまいました。
私たちが知っているヴァーゴという形は、火葬にされ、灰になり消えてしまいました。
ヴァーゴの思い出、
愛すべき人格やいらだちなど、彼のいろいろな状態の思い出はありますが、
ヴァーゴという形はなくなってしまいました。

でも、
その、彼という形に命を吹き込み、彼を動かしている
『存在そのもの』はどうでしょう。
それは、
あなたに命を吹き込み、そしてあなたを動かしている
『存在』とまったく等しいものです。
そしてそれは、ありとあらゆる形を動かしているのです。

その、『存在そのもの』としての真実のあなたに目覚めるためには、
あなたが、御自分で、あなたと呼んでいるその肉体も含めて、
あらゆる形あるものの死と、しっかりと出会おうという心構えでいることです。
そうすれば、それは、歓びに満ちた出会いとなります。

ただし、それはもちろん、喪失の時でもあります。
なぜなら、
私たちにとって大切な、自分自身という身体を失う時かもしれませんし、
私たちが愛している大切な誰かを失う時であるのかもしれないからです。

そこには喪失があります。
でも、そこには、
あらゆるものを動かしていたのは、『真実の存在』であり、神という『存在』であるということに気づく喜びがあります。

くりかえしますが、
死という形のプレゼントが、
『それ』が、ここに在る、ということを、 そして『それ』は、永遠である、ということを証明しているのです。

私は、
夜も、昼も、朝も、たくさんの時間を皆様とともに過ごし、死についてお話ししています。

スピリチュアルな道というのは、死への道と同じです。
それは喪失の道なのです
多くの人々が、何か、得るものを求めて、スピリチュアルな世界にやってこられますが、本当のスピリチュアルな達成というのは、あらゆるものを失うことで得られます。何もかもを喪失するということで得られます。

幸運なことにヴァーゴの場合は、喪失に直面するために、
病気が身体を連れ去っていってしまうのを待つ必要がありませんでした。
恩寵のおかげでしょうか、それとも運が良いのでしょうか、
彼は、この喪失について、
死のずっと前に調べてみることができました。
最後には、病気が彼の身体を連れ去っていってしまいましたが、
彼は、ずっと前にそれを調べてみることができたが故に、自由の中で死を迎えることができました。
平安の中で死ぬことができました。

なにか大切なものを失うという、その喪失の中で、
実は、もっと多くさんのものを得るのです。

私は、 皆様方、お一人お一人に、
今晩、今この瞬間に、死を疑似体験してごらんになってはいかがでしょうかと、お誘いします。

身体は、いずれは死にます。それは誕生とともに約束されています。
そして、
今夜、ここには、
身体が死ぬ前に死に直面してみるという機会が与えられています。
身体に対する執着や、愛着といったものに気づき、
それを死なせてしまうという機会です。

そしてその死の中で、
あなたが本当は何であるのか、という事の真実を知るのです。

これは、ラマナからのプレゼントです。
ラマナが十代のときに、まさに、そのようなことが起こりました。
彼は身体が死ぬ前に死んだのです。
横になると、そのまま、死に直面しました。
そしてその瞬間に、何もかもを失いました。
親も、経歴も、将来も。
未来や 過去さえも失いました。

得ることと失うこと。
そのどちらをも失ったのです。
なにもかもすべてです。

しかし、
得ることと失うことのどちらをも喜んで失ってもいいと、
心の底から、そう決意すると、
『私とは一体誰なのか』ということへの気づきがあらわになります。
それは、ラマナの中で明らかになりました。
そして、あなたの中でも明らかになるでしょう。

彼には
この気づきの後も、長い年月が残されていました。
今晩、もしもあなたが、一瞬、止まり、進んでご自分自身の死を体験してごらんになるならば、あなたはきっと、 少なくとも一瞬か、あるいは、数日、数週間、
それとも、もっと長い間にわたってかもしれませんが、
「『私』が死んでしまったら、『私』の人生はどんなふうなのだろうか」
「そこに『私』がいないときの私の人生とはいったいどのようなものだろうか」
「そこにあるのが『私』の問題ではなくなった時、その問題は一体どのようになるのだろうか」
ということを観察し、見いだすことになるでしょう。
そうなると、あなたは、
残りの人生を、そのことについて、私たちと分かち合うことになるでしょう。
その気づきからやってくる甘い蜜への飢餓感や渇きが、誰の中にもあるからです。

ヴァーゴと彼の死の過程は、私たちへのプレゼントでした。
実際には彼は、死のずっと前にこのプレゼントをくれていました。
なぜなら彼は、ずっと以前に死んでいるからです。
ですから彼の生も死も、どちらもが、
究極的に、相対的に、絶対的に、同じプレゼントなのです。

どのような形でも、可能な限り、私はあなたに力をお貸しいたします。
と申しましても、
実際には、解き放すということに対しては、どのような援助もありません。
私に援助できることといえば、
なぜあなたが、つかんではなさないのか。
そしてそれが、どのような仕組みによるものなのかということを、
あなたご自身で発見することに対してです。
「今はできない」という考えを後押ししているもの何なのか。」
「できることはできるだろうけれど、でももしかしたら、後から必要なこともあるかもしれないから、、、、』
というような、
そのようなことをやめられるように、援助して差し上げたいと思います。

ここにいて、
過去のあなたを、死なせてごらんなさい。
将来のあなたを死なせてごらんなさい。


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Comment








T.Yさ

記事がT.Yさんの気づきのお役に立ち、大変に幸いです。
ご報告をくださり嬉しいです。
どうもありがとうございます。

はるか
from. はるか | 2014/02/10 11:31 |
この記事はとても救いになりました。自分を消せばいいのですね。ものすごく楽になりました。ありがとうございました。
from. T・Y | 2014/02/08 11:22 |
栗A太様

こちらこそ。。。

読んでくださりありがとうございます。

心から感謝いたします!!!
from. はるか | 2010/10/02 15:11 |
いつもありがとうございます!

感謝!<(_ _)>
from. 栗A太 | 2010/09/27 16:01 |
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