たった今、やめる | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
たった今、やめる

 

ラマナからのプレゼント。

それは、自己検証です。

 

あなたとは本当は誰であるのか、

ということへの自己尋問です。

 

何が本物なのでしょう?

ここに在る、『真実』は何なのでしょう?

そして何がまぼろしなのでしょう?

 

通り過ぎて行ってしまうものは何で、

永遠に続いているものは何なのでしょう?

 

不滅のものは何で、一過性のものは何でしょうか?

そのことに対する偽ることのない調査です。

 

私の言葉でお伝えするなら、

『真実を語りましょう。ただ、本当のことを語りましょう。』

ということになります。

 

この言葉をお聞きになった皆様は、

『今、嫌な気持ちだ。

そうか、真実とはこのことだな。』

『嫌な気分。これが真実だ』

と、このように表面的なことだと思い込まれます。でも、それは、真実ではありません。

 

嫌な気持ちはあなたの感情です。

あなたがそのように感じているというのは本当ですが、でも、それがあなたの真実ではありません。

 

あなたがどう感じているかを知ることができるのは重要です。

でも、あなたの『真実』は、どのような感情よりももっと深く、もっと近くにあるのです。

 

「嫌な気分だ」というときに、それが真実であるというふうに、そこでおさまってしまわずに、もっと深く調べてごらんなさい。

 

表面的な真実を、それが真実なのだというように、そこで落ち着いてしまわずに、

例えば、嫌な気分なのは一体誰なのか。嫌な気分だと感じているのは何なのか。

という具合に掘り下げて調べてみるのです。

 

以前、あるグループの方々に、

「私自身が、私という被害者のストーリーを語っていたことを知らなかった」

とお話ししたことがあります。そのことを昨日は皆様にお話しいたしましたが、

私は、それが真実だとすっかり思い込んでいたのです。

 

つまり、

『ひどいことが私の身に降りかかった。それが真実だ』

と思っていたのです。

私は惨めだと感じ、それが私の真実だというふうに信じきっていました。まるで、信仰です。

 

でも、私がお話ししている真実というのは、そういうことではありません。

 

いろいろなことが起き、ある体験をしたというのは本当でしょう。その体験は嫌な体験、あえてそのように申しますが、そのようなものであるかもしれません。

でもその体験や、考えや、嫌だという感情よりも、 もっと深いところ、もっともっと近いところにあるのが “真実” なのです。

 

条件づけと苦しみ、という私たちの存在の仕方は、 どのように感じ、どのように体験したかを “真実” として受け取りますが、そこに苦しみの連鎖が生まれます。

 

感情や考え、心の状態やあなたの状況、といった表面にとどまり、“あなたの物語”、つまり、感情の物語、身体的物語、精神的物語、状況の物語、といったそれを、芝居の出来事と受け取る代わりに、事実なのだと受け取るところに、苦しみの連鎖があります。

 

感情としての物語は、怒りや、または祝福であるかもしれませんが、

それは真実ではないのです。

 

私がここでお話ししている区別 、真実に関する区別が、おわかりになるでしょうか?

 

理解のための重要な鍵だと感じます。優れた叡智の一つです。

 

私たちはあまりにも表面的なレベルで生きてきました。そして表面的であるがために苦しんできました。

 

なぜ苦しんできたのかというと、それは、私たち一人一人の中に、

本当の自分自身を知りたい、

それを、感じ、表現し、それに出会いたいという、

真実の深み、真実の存在としての深みがあるからです。

にもかかわらず、

『そうよ。こんなことが起きたのよ。これが真実なのよ』

という具合に、表面で収まってしまうと、それ以上の深い事実が見過ごされてしまうのです。悲劇的な見過ごしです。

 

ですからパパジが、

Stop』と言ったのは、実際に、

物語りを語るのをやめてご覧なさい、という意味なのです。

 

一瞬です。

 

一瞬よりももっと短時間で、あなたの物語を語るのをやめるのです。

それがたとえステキな物語だとしてもです。

ただ、やめる。のです。

 

そうすると、即座に真実があらわれます。

 

あなたが物語に埋没しそれを語っている間は、あなたは真実を語れません。

あなたが真実を語るなら、あなたはもう物語は語れません。

 

あきらかでしょう?

 

素晴らしい宗教や、研究機関、そして、救世主やアバター、そのようなすべてが、

このシンプルな直接性のことについて言及しています。

(訳者注 認識の対象が、間にいかなる媒介も無く存在すること)

 

 止める

 

あなたの中であなたの物語を語るのを止めてごらんなさい。

たった今です。物語が、もうちょっと良くなってからではありません。悪くなってからでもありません。たった今です。

 

昨日ここで、先延ばしさせるということについてお話しになった方がいらっしゃいましたが、まさにそうです。先に延ばすのをやめるのです。

あなたの物語を語るのを、たった今“やめる”のです。

そうすると、真実があらわれます。

はっきり明確にわかるかもしれませんし、そのように感じられるかもしれません。

どのようにあらわれても同じことです。

 

私にとって興味があるのはこのことです。

 

これが、私の師であるパパジが、

私を、こうして皆様のところに送り込んだことの理由です。

皆様にやめるように告げ、それが可能だということを証明し、それは簡単にできるのだということをお目にかけるためです。

 

そのようなことは困難で努力が必要だ、と言うのは、やめることへの抵抗です。

抵抗は、次のような希望からやってきます。

 

物語が、いつかあなたが欲しがっているものを与えてくれるかもしれない。

あなたの物語を、感情的にも、ほんの少し必要な手直しをし、変化させることができれば、やがては欲しいものが手に入るかもしれない。

 

皆様はそのことをよくご存知でしょう。

皆様はそのようなことを経験なさっているからです。

 

確かに、物語を変えることはできます。よりよい物語に変えることはできます。

それは素敵でしょう。あなたの物語をよりよいものにするために、

私は、援助をおしみません。もっとよい物語の中にいる方がいいのは当たり前ですから。

でも、私があなたの物語の中に現れたことの目的は、“やめる”ということへお誘いするためです。

 

たった今です。

 

あなたがご自分の物語を語るのをやめた時、あなたは私の物語を語るのもやめるでしょう。また、彼の物語や彼女の物語を語るのも止めるでしょう。

そうすると、一瞬にして、あなたは、あなたが何であるかを見いだすでしょう。

 

そうなると、そのあとで、また物語が現れたり消えたりしても、もう、あなたが誰なのかということに関しては、まったく揺らぐことはありません。

 

それはまるで、夜、眠りのなかで夢を見るようなものです。

夢には始まりがあり、終わりがあり、夢を見ているときはまるで本当に起きているように感じられますが、それは明らかに夢ですね。

これが目覚めるという意味です。

 

夢の中にいながらにして目覚める。あなたの物語が終わる前に目覚める。

 

それぞれの物語はやがては終わります。この肉体という物語はいずれ終わります。

この精神という物語も、この感情という物語も、やがては終わります。

 

物語のまった中にいて目覚めている。これは、夜、とてもはっきりしている夢をみているようなものです。あなたは、はっきりとした生を生きる可能性を持っています。

明晰な生です。真正の生です。

 

肉体の物語は続くでしょう。この身体にも、あなたの身体にも、物語があります。

遺伝や環境や、子どもの頃の栄養や栄養不足、そういったように、それぞれの物語があり展開して行きます。

 

でもあなたは、物語が現れ出てくる源である、明晰さです。

身体の物語が向かっている場所に関わらず、あなたは、それが現れ出てくる、源である、澄み切った光です

 

あなたの注意が、身体的な物語や、精神的、感情的、状況的な物語から抜け出ると、

あなたは一瞬にして、あなたの真我とは、明晰で澄み切った、無限な広がりであることを知るでしょう。

 

それを言葉で定義することは不可能です。

 

物語を語るのをやめる comments(15) trackbacks(0)
Comment








豪力さん こんにちは

>>虚しさも自らが生み出した観念であることに漸く気づくことができましたm(__)m
これからはマインドの奴隷にはならず、
上手に付き合うことができそうです。


素晴らしい気づきですね!!!
とても大きな気づきですね。

観念は現れては消えていきます。
感情も、状況も、やってきては、消えていきます。 

現れては消えていく事象を、常にただ、ただ、目撃していると、
現れては消えていかないスペースがそこに存在することに気づくのではないでしょうか。

観念と観念のあいだの、 間(ま)と表現してもよいかもしれません。
いわば、
事象は前景のようなもの。
そして、それらが、現れては消えていく、背景が在ると気づくのではないでしょうか。

移り変わる前景がいかようであろうと、背景は静寂です。
常にここに存在する、揺らぐ事のない平安です。
真実の私です。

また、発見があったら、ご報告してくださいね。

豪力さんが分かち合ってくださり感謝します!
はるか 

from. はるか | 2014/12/05 14:53 |

はるか様


お久しぶりでございます。


豪力です。

約1年弱ぶりにご返事差し上げております。


以前はコメントにて大変心強い励ましのお言葉をいただきまして
誠にありがとうございました。


はるか様は、お変わりございませんでしょうか?


このたびは、
私の近況と御礼のご報告をさせていただきたく思い、
筆をとらせていただいております。


現在は会社をやめ、数ヶ月が経過いたします。


長く虚しさに支配されている時期もありましたが、
お陰様をもちまして、
虚しさも自らが生み出した観念であることに漸く気づくことができましたm(__)m
これからはマインドの奴隷にはならず、
上手に付き合うことができそうです。


なに一つ無駄なことはなく、すべてが完璧でした(;_;) 


こうしてはるか様にご報告することができ、大変幸甚に存じます。


重ね重ねありがとうございました。


時節柄、お体ご自愛のほどよろしくお願い申し上げますとともに、
はるか様のさらなるご活躍をお祈り申し上げます。



合掌
from. 豪力 | 2014/10/04 22:55 |
豪力さん

素晴らしいですね!!!

とても嬉しいです。

途中であろうが、
「ん?」
と気づくのは、それだけでも大変に大きいです!

思考の奴隷となっている人類という物語の中で、一瞬止まるのは、
並大抵のチャレンジではないです。
単純なことだけれど困難を極める
とガンガジがおっしゃっていました。

豪力さんの自己検証が深まりますよう。

Love,
はるか
from. はるか | 2014/01/19 11:57 |
はるか様


豪力です。

コメントありがとうございます!


>>豪力さんの気づきは、どのように消化されてきているでしょう。

相変わらず思考に支配され気味ですが、
割合途中で気づいて「止める」こともできるようになりました。
おかげさまでその瞬間フラットな状態に戻れます。
私にとっては随分な成長です。
これからも、あせらず、心にゆとりをもって観察できるようになれば、良い方向に進めるような気がします。


はるかさま、ありがとうございます。
from. 豪力 | 2014/01/18 17:36 |
豪力さん こんにちは。

少し時間をおきました。
豪力さんの気づきは、どのように消化されてきているでしょう。

>>ガンガジが「苦しみが続いているなら、あなたという物語が続いている証拠です」という言葉をふと思い出しました。出会った言葉の中でも一際わたしに影響を与えてくれた言葉です。
まさにそうなんですよね。


そうですね。
苦しみが続いている時、そこにはあなたの観念があります。
観念に気づくのは、大変重要です。
思い込み、判断、決めつけ、意味付けです。

ネガティブ、ポジティブ、理想、

意味付けされなければ、問題は生じません。
世界の事象はあるがままに起こり、ただ消えていくだけです。


豪力さんの自己調査が、続きますように。

はるか
from. はるか | 2014/01/14 15:33 |
はるかさま


長文のご回答ありがとうございます。


はるか様のご丁寧なお言葉はまさにガンガジと直に対話しているように感じてます。
お世辞とかではなく本当にそう思います。

本当にありがとうございます。




以下、抜粋でご返答させていただきます。




>>思考が問題になるのは、それに注目し追いかけたときです。


ここですよね、「不必要な思考」を停止する、追いかけないということ。意識的に注意します。
「不必要な」を瞬時に判断するには、それが心の平安につながるかどうかということを天秤にかけるようにいたします。




>>それでもつい追従してしまうのは、なぜなのでしょう?
>>なぜ、思考を追いかけ、”私の物語” に入り込むのでしょう?


わたしも愛着のように思います。
妄想癖のある人は思考遊びの極みなのかもしれません。
偽りの平安とも気づかず、ただ盲目的に思考を重ね続ける。よくやってました。ひたすら存在理由を考えていた時期があります。
わずかな希望・気づきがその思考のなかにあるという期待から思考を重ねている自分が今でもいます。
そもそも思考の中に気づきを見出そうとするのが根本的な間違いであったことに気づけたことは大きいです。


結局人間はマインドの中で生きているわけではなくて、現実社会で生きていく必要があります。
思考遊びはそれを意識的に行っているかどうかが問われるのではないでしょうか。これがいまの私の理解です。




>>『やめよう。』という決意。
>>それまでと違ったのは、言い訳を一切許さない ”覚悟” です。

>>ガンガジが『死んでも引き裂かれても絶対ここを動かないぞ。』というほどの固い意志、


この覚悟がいまのわたしにできるかと問えば、まだ意志が弱いように思います。自我が強すぎるのです。
とはいえ、「意識的でいる」ということを念頭に置きながら、心の動きを観察してみます。
瞑想する時間もまったく作っていませんのでそこも考慮に入れ、心を静かにするようにいたします。



>>選択が難しいのなら、
>>『自分は何が欲しいのか?苦しみたいのか?それとも平安が欲しいのか?』と、そのつど、自問されるのもおすすめです。


すごい命題です。即答できますね。それはもう苦しみたくないです。笑
しかしながら、この問いを実行させる心の余裕が必要に思います。
自らにとってショックな出来事に遭遇した場合に、思考にとらわれずこの問いができるのか。今後の私の課題かもしれません。




>>不必要な思考に興味がなくなっても、必要な思考ができなくなることはありません。必要な思考に注意を向けて、それを利用すれば良いだけです。


これは拡大解釈になるかもしれませんが、ネガティブ思考ではなく、ポジティブ思考をしなさいということに思えます。
ものは考えようでどうとでもなるので、(生きる意味はそもそもないのだから)それなら平安を選んだほうがいい。こんな単純なことかもしれません。
しかし現状の私は無理やりポジティブに考え、疲弊しているところがあるので、どこか穿ったとらえ方になっているのかもしれません。
本当にポジティブ、平安を選択しているなら疲れが出るわけがないのに。。
ここでまたポジティブに考えなければいけないという自我が出てきてますもんね。。


「望みを叶えたいのであれば、すでにそれが叶ったのごとく振る舞いなさい」という言葉がありますが、
「理想の自分になろうとする自分」を否定して、いま現在がすでに理想の自分であるという揺るぎない自覚、、こんな感覚で普段の生活を送れればいいのでしょうが、なかなか笑




ガンガジが「苦しみが続いているなら、あなたという物語が続いている証拠です」という言葉をふと思い出しました。出会った言葉の中でも一際わたしに影響を与えてくれた言葉です。
まさにそうなんですよね。



長文失礼しました。



はるか様、いろいろお心遣いありがとうございます。
おかげ様で頭の整理ができました。この場をお借りし心より感謝申し上げます。
また記事を楽しみにしております。



追伸:ガンガジのDVDを拝見しました。「傷つきなさい」という言葉にあらためて感銘を受けました。確かに自我にメスをいれる大きな力があります。
そして、はるか様の翻訳も絶妙でした。買ってよかったです<m(__)m>
from. 豪力 | 2013/12/02 22:23 |
豪力さん どうもありがとうございます。

コメント欄に、はるかからの返事が全部入りきれないようですので、
二つに分けます。

こちらが前編です。


思考は、”空” の中に現れては消えていきます。
単に、やってきては通り過ぎていく現象ですから、
それ自体には、全く何の問題もありません。

思考が問題になるのは、それに注目し追いかけたときです。
思考に注意をそそぎ追従すると、私という概念が現れ ”私の物語” となります。
ご存知の通りです。

やってきた思考に追従するか、しないか、
思考に気づいた瞬間に、私たちは選択をすることできます。

ガンガジが言う責任とは、ここです。
思考に気づき、意識的に選択をする責任です。

人類の歴史は無意識に生き、思考の奴隷となって生きる歴史でした。

やってきた思考に追従するか、
それとも、それを放っておくか。

追従すれば、おなじみの苦しみに陥るのは火を見るよりも明らかです。
豪力さんが、お書きになった通りです。
『私もわかっているんです』と。

それでもつい追従してしまうのは、なぜなのでしょう?
なぜ、思考を追いかけ、”私の物語” に入り込むのでしょう?

ご自分で調べてごらんになると、なかなかおもしろい発見があるかもしれません。


下の後編に続きます。
from. はるか | 2013/12/01 12:14 |
上の文章の後編です。


はるかが発見したのは、
ある種の思考、に生じている愛着でした。
嫌だけれども近寄ってしまうおなじみの穴蔵。
禁断の娯楽とでも言えるような。。。

そうして思考にはまった後で、
死ぬまでそうやって同じ物語に陥りたいのかどうかと、
何度も自問する機会がありました。

あるとき、
ついに終止符を打つ瞬間がありました。

『やめよう。』という決意。
それまでと違ったのは、言い訳を一切許さない ”覚悟” です。

ガンガジが
『死んでも引き裂かれても絶対ここを動かないぞ。』というほどの固い意志、
という言葉で表現されたことがありますが、

まさにそうです。

”最終的な覚悟” がなされたとき、
引きつけてやまなかったはるかの磁石は瞬時にして力を失い、
そのときから穴蔵には戻らなくなりました。
重荷が、一瞬で消え去りました。
おなじみの穴蔵はまったく魅力を失い、
そうなると、意識的に選択をする必要さえもなくなりました。

そして気づいたのは、
私たちは、わざわざ難しいことをしているということです。
思考に注意を注ぎ追従するには、多大な労力がいります。
判断したり、比較したりと、非常な手間です。
思考は、放っておく方が自然で、ずっと楽ですし疲れません。
何しろ、何もしないのですから。

本来の私は、何も無い、空です。

ただし、何度もおなじみの穴蔵に戻る体験してみるのも、けっして悪くはありません。
なぜなら、最終的な覚悟がなされるには、ほとほともういい加減にうんざり。という体験が必要だからです。
必要だから体験をしている訳です。

究極的に嫌にならない限り、思考はどんな言い訳でもします。
まさに中毒と同じです。
決意は真剣なのに、
『まだちょっとだけなら、いいかな』
という具合に、苦しむとわかっている思考に注意を向けることを繰り返します。

”本当に欲しいのは何か” を明確にしてくださいと申し上げたのは、
最終的に欲しいものが何かがわかると、選択する上での助けとなるからです。

豪力さんが書かれた文章に、
安心、リラックス、心の余裕、という言葉が連なっていますが、
そのような言葉に共通なのは平安ですね。
この場合の平安は状況如何によって得られる平安ではありませんよね?
状況如何によって得られる平安を求めておられるのなら、状況が自分の思い通りにならない限り平安ではありませんから、
やってくる状況を次々と変えなければなりません。
やってくる状況を変えて平安を得ようとすると苦しみが生まれます。十分にお分かりのことと察します。
そのような平安は一過性のものです。
一過性の平安は、最終的な平安とはかけ離れています。

もし、
どのような状況が起ころうとも揺らがない平安、安心、を欲っしておられるのなら、

やってくる思考に気づいたときに選択をすることができます。
受け流すというのは、何かをするようなニュアンスに感じますが、
”何もしない” のです。
放っておくのです。
思考はそれだけで自然消滅します。
訓練は必要ありません。

選択が難しいのなら、

『自分は何が欲しいのか?
苦しみたいのか?
それとも平安が欲しいのか?』と、そのつど、自問されるのもおすすめです。

選択がしやすいかもしれません。
二つに一つですから。

不必要な思考に興味がなくなっても、
必要な思考ができなくなることはありません。
必要な思考に注意を向けて、それを利用すれば良いだけです。

失敗や無駄はありません。何度でも試してみれば良いのです。
ご自分でためしてごらんになり、またご報告していただければ幸いです。

はるか 拝
from. はるか | 2013/12/01 12:09 |
はるかさん


レスありがとうございます。


以下、自分への問いかけをしてみました。


Q. 人に認められることは、一体あなたに何をもたらすのでしょう?

A.そうですね、すぐに思いつくのが「悦び」「安心」ということでしょうか。


Q. 人と良い関係性が築けたら、あなたはどうなるのでしょう?
それは自分になにをもたらすのか?


A. 精神的にリラックスできることでしょうか。
心に余裕ができると思います。



私の最終的な?望みは、お互いを慮る、お互いに尊厳を持って接することができるというような相互扶助の関係を築くことを通じて、心に余裕を持った生活をしたいということだと思います。


現状を顧みると、毎日仕事の催促で追われ、心に余裕を持てる時間がありません。ですので数カ月後には仕事をやめることにいたしました。

一つ気づいたのですが、良い関係を築くことと、いい人になるのは違うということかもしれません。私の行動は前者を意識していながらも、後者の方が強くでているのかもしれません。
いい人過ぎると断れない性格ということもあり、必要以上に請け負ってしまう。これが疲れの原因ですね。
from. 豪力 | 2013/11/21 22:33 |
豪力さん

正直に答えるのはとても勇気がいることと思います。
豪力さんの誠意に心から敬意とお礼を申し上げます。

さて、もっと深く掘り下げて調べてみましょう。

人に認められることは、一体あなたに何をもたらすのでしょう?

言葉を変えると、
そうなったとき、あなたはどうなるのでしょう?
人と良い関係性が築けたら、あなたはどうなるのでしょう?

何か答えが浮かんだら、
『それは自分になにをもたらすのか? 』
と、問いかけてみてください。
何度もそう問いかけていくと、最終的に欲しいものが何であるかがわかる場合があります。

Love,
はるか
from. はるか | 2013/11/21 12:46 |

はるか様


ご返答いただきありがとうございます。


「わたしの最終的な望みとはなにか」

この問いをもとに自己分析を行ってみました。以下。


「最終的な望み」
具体的にはあまり浮かびません。生きる目標が元々ないからです。

強いて紡ぎ出すならば、(あまり認めたくはないのですが)「周囲から認められたい」という感情があるように思います。

例えばスピリチュアルなこと、霊能力・チャネリングなどは幼少の頃より興味があるのですが、それは特殊な能力に惹かれてるのだと思います。特殊な能力を求めている自分が確かにいます。「人とは違う特別な存在でありたい」とか深いところで考えているように思います。


そのため、数年本を貪るように読み漁りました。
しかしながら言葉の限界を感じ、いつしかその意欲もなくなってしまい、
気づけば空っぽ、虚無感だけが残ってしまっています。


話は変わりますが、自身の精神スタンスを鑑みると、「人の役に立って喜びを与えたい」(←望みとまでは言えません)と常々考えるところはあります。無償で行動し、結果疲れている自分がいるのです。なぜ無償なのかというと、金銭払うのはみんな嫌がるから、まあしょうがないか、と考えているようです。ですので金銭をもらうのはどうも憚られます。もらわないことでなお喜んでもらえるならいいいかなとか考えます。さすがにこんな考えしてれば、社会生活はできたもんじゃないですね。気づけばほとんど一文無しです。。
まぁそれでもいいとさえ感じているところもありますが。。(正直虚しさが強くあります)


こうして考えを掘り下げれば掘り下げるほど、今置かれた環境も自らがまねいたこと(暗に望んでいた)であることが自覚されますね。(ため息)

心の深奥にせまる問いをありがとうございます。


「周囲から認められたい」(見返してやりたい?)という気持ちを自分なりに分析すると、
(常々独りの方が楽だと感じていながらも)本当の自分は関係性の中に身を置きたいのかなぁと感じます。あとは傷つきたくないから独りがいい、というところも正直ありますね。


まずは、一旦ここで筆をおかせていただきます。


取り留めもなく申し訳ないのですが、なにかアドバイスなどございましたらよろしくお願い申し上げます。貴重なお時間を割いていただき恐縮いたします。




from. 豪力 | 2013/11/18 22:32 |
豪力さま

コメントを拝読いたしました。
つらい状況ですね。

もしよろしければ、一緒に自己調査をするお手伝いをしてみます。

まずは、本当の自分を知るうえでの自己調査の根本である、一番大切な問いかけをいたします。
それは、『豪力さんの最終的な望みは何か』ということです。

ご自分をじっくり調べてご覧になり、はるかに知らせていただけますでしょうか。

Love,
はるか




from. はるか | 2013/11/18 11:05 |
はじめてご返事を書かせていただきます。

もう半ば救いを求め、ガンガジの日本語版DVDを注文いたしました。
到着を楽しみにしています。まずは翻訳いただいたはるか様にご連絡/御礼まで。

以下私事ですが、少し綴らせてください。
人間関係、そして自分自身に対して、ありとあらゆることがイヤになってしまい、
もう社会では生きれないなと、毎日自問自答しています。
人に優しすぎるのか、いつも依存されっぱなしで精神的に参っています。

ガンガジの「物語」を語るのをやめるという教えは私に突き刺さります。
結局は自分で作り上げた物語です、、、私もわかっているんです。。
でも次の瞬間縛られています。


はるか様にお尋ねがあります。

「意識的でいる」という状態がどうにも掴みきれないのですが、判断せずに受け流すという感じなのか、(その場合は仕事中でも意識的でいられるのか?)、はたまた、常日頃 瞑想なり訓練することでそういう状態にシフトしやすくなるのか?

思考を止めると、仕事出来るんだろうか?とか、単純に思ってしまいます。

何かアドバイスをいただけましたら幸いでございます。

どうぞよろしくお願いいたします。
from. 豪力 | 2013/11/13 21:26 |
倍バインさん

はるかの体験がお役に立ち幸いです。
喜んでいただきとても嬉しいです。

ガンガジが、このようなことをおっしゃっていました。

『理解する、とは左脳の分野です。左脳はデータを分析したり、比較したり、論理的に考えるのが得意です。

でも、”あなたの真実” は、左脳では手に負えません。
左脳で論理的に理解できる”何か”ではないからです。
それはつかみ取れる”事柄”ではありません。

理解できたぞ!とお思いになったなら、それは概念です。

あなたの真実が、”わかる” ”認識する” のは、右脳の分野といえるでしょう。

理解しようとがんばらない事です。
わからないのは、理解できたとお思いになるよりも、ずっとずっとすばらしいからです。

思考を信頼せずに、なにもわからないままにゆだねてごらんなさい』

コメントに心から感謝いたします。

Love,
はるか
from. はるか | 2011/06/16 14:09 |
はるかさん 素敵な記事をありがとうございます。
ガンガジさんの「ポケットの中のダイヤモンド」はもう3年以上前から何回か読んでいます。
なにか人生において重要な核心が書かれているという気がするのですが、内容は何回読んでもなんとなくしか理解できませんでした。
はるかさんのブログ、特にはるかさんの経験の説明で、かなり理解が深まったと思います。
まだ全てわかったわけではありませんが嬉しく思います。
ありがとうございました。
from. 倍バイン | 2011/06/16 13:02 |
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