正しい選択はどうすればできるのでしょう | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
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正しい選択はどうすればできるのでしょう


質問者    何かを選択をしなければならない状況がある場合、

どちらを選べばいいのかをどうやって知ることができるのでしょうか? 

 

ガンガジ   あなたにはどうなさっているのですか?

 

ご自分の真実を否定なさっているとき、何かサインが感じられますか?

 

重要な質問ですね。

 

私たちは、

思考に頼り、

『あっ、こっちが正しいな』と判断し、

あるときは感情に従い、

『これが正しい選択のような気がする』と決定し、

またあるときには、

『よし、直感が働いた! 絶対これだな』と、

そのようにして選択する訳ですが、

何に従って決定したとしても失敗することがあります。

だれもが経験しています。

そういう失敗を何度もしていますね。

 

(笑い)

 

質問者    決定する前にどうやってそれが正しい決定なのかが

まだわかりません。

 

ガンガジ   わかるような何かではありません。

 

質問者    自分で気づいているのは、

真我に従った決定を行ったときには、後に、

こみ上げてくる歓びのようなエネルギーがあります。

正しい選択だったという確信というのでしょうか。

でもそれは、後から感じることです。

 

先にそれがわかるにはどうしたらいいのかなあと。。。

 

ガンガジ   どうやってコントロールできるかという訳ですね。

 

(笑い)

 

質問者    まあ、そう言われればそうです。

 

ガンガジ   どうやったら、思い通りに仕切れるか。

 

質問者    そういう言い方もできるかもしれませんが。

 

ガンガジ   ただ一つの答えは、

 

“私たちには知る由もない” ということです。

“わからない 

 

それだけです。

 

あるがままに心を開き、そこから発見なさることです。

誤りをおかすことに喜んで心を開く意図をし、

真実を語ろうという意志を持つことです。

つまり、

どのようなことが起ころうとも、

それを喜んで体験しようという意志を持つことです。

 

質問者     行動を起こすという意味ですか?

 

ガンガジ    止まる。のです。

 

そして何が起きるのかを待つのです。

もしそこで行動が起きるのなら、そのようになさればよいでしょうし、

行動が起きなければそれもよいでしょう。

その後、どのように展開していくのかを発見なさればよいでしょう。

 

はじめに、STOP

止まるのです。

 

とまれば自然に開きます。

 

質問者     考えることをやめるのですね。

 

ガンガジ    ええ。

 

私たちは、ああでもない、こうでもないと、考えます。

それをただ、やめるのです。

 

“何もわからない”

 

わからないままに、

心を開く。

 

パパジが、

待って、見守る。

ということをおっしゃいました。

 

『やってみましょうか、どうしましょうか』

と、質問する者たちに、

 

『待とう。

まだ、心に落ちないから。』

と、パパジは答えました。

 

そうすれば誤りを犯すことがないという意味ではありませんよ。

誰だって誤りを犯します。

神だって間違います。

皆さんも同感ではありませんか?

 

(笑い)

 

誤りは人生の経験ですね。

私たちは誤りを恐れます。

自分や誰かを傷付けるかもしれません。死ぬ程までに。

 

もちろん恐れた方が良い場合というのも確かにあります。

でも、

誤りを犯かすことに対し非常に大きな恐れを抱くことは、

非常に大きな誤りです。

 

(笑い)

 

隅の方にいて、

知識を増やし、

これはいったいどのような意味だろうか、

どうすれば良いだろうかと方法を考えてばかりいて、

そして、突然、気づくと死ぬときがやってくるのです。

 

(爆笑)

 

誤りを犯すかもしれない。

誤りはあなたを死に至らしめるかもしれない。

これが人生の現実です。

家の中にいても死ぬかもしれませんしね。家が崩れて。

地震や津波が世界のあらゆるところで起きています。

そういうことが起きることは誰もが頭では理解できますが、まさか自分にとは思いもしないでしょう。

そして、こうすればきっと大丈夫だろう、ああすれば大丈夫だろうと、免れる方法を

あれこれと考えます。

 

もちろん私たちには考えて予防する能力もあります。思考の役割は重要です。

 

でもあなたは、“止まる” ことができます。

そして心を開くのです。

 

(ガンガジ、胸の前で両手を大きく広げる)

 

ご自分で発見なさってください。

 

そうなれば、あなたの人生は探求となります。

発見の人生です。

身体的、精神的、感情的、状況的な発見という多次元の発見です。

 

そうなると理性は、仕切るかわりに従うことになるでしょう。

理性は、理解しようとがんばるかわりに、

 

『あれっ。わあ、そういうことか』

と、発見をするでしょう。

 

『こりゃあ、失敗だったか。』

『わあ、ひっぱたかれたぞ。』

 

またはその逆かもしれません。

 

ひっぱたかれたかと思いきや、

実は、最高の快挙であった。

 

が、

そう思ったとたんに、はり倒されたと。

 

(爆笑)

 

ですからね、結局のところ、

 

わからないんです。

 

わかろうとするのを止めるというよりも、

“わからない” と気づけばいいのです。

 

そうでしょう?

初めから何もわからないのです。

 

なんという解放ではありませんか?

 

 

わかろう、理解しよう、となさるのが混乱の原因です。

理解したいのに理解できないという欲求不満があるのでしたらそれを助け舟として利用することができます。

 

内側に炎が燃え上がるのを許してごらんなさい。

胸の奥に熱がありますね。エネルギーです。

 

理解したいから、なんとかしようと画策したり、自分にむち打つかわりに、

ただこのエネルギーが胸の奥に燃え上がるのを許してご覧なさい。

 

人生は冒険ですね。

その中には、死んで動かないような部分もあれば、聖なる部分や

ごくありきたりの部分、危険な部分や、至福の部分や、退屈な部分もあることでしょう。でも、あなたがそれらすべての核なのです。

失敗の中に、成功の中に、あらゆる瞬間の中に、そのような部分を発見するのです。

 

あなたが、失敗だと思ったその瞬間に、

よし!と言って向き合うなら、失敗は大変大きな助け舟です。

もちろん失敗はうれしくはないでしょう。でも、力があります。

そして役立ちます。

 

理解しようと思考を働かせず、わからないままでいることをご自分に許してごらんなさい。

 

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Comment








はるかさん
いつも素晴らしいシェアをしてくださり、伝えきれない感謝でいっぱいです。
希望も全て幾度となく書き出しても明くる日には手元にありました。
今思うと、本当には手放せなかったんです。
しかし、本当に苦しみを終わらせようと思いました。そしてつい先日片手をあげて宣言しました!「私は今を生きます絶対に!!」それから3日間はとにかく思考に気づいたらハッと息を吐いて気づいた!と言うことから始めました。
最初は気づくことも忘れがちでしたが、2日目になると数分おきに気づくようになりました。
そして4日目から「私の注意はどこにむいていたか」「本当の私って何だろう」「今この瞬間ここにある真実って何だろう」と付け加えました。現在は5分くらい意識的で無思考でいる時間が何回かあります。
5分くらいすると先がわからない不安?でもぞもぞします。
アップされた日からはおしゃぶりを断っていますっ。
私ははるかさんがおっしゃるように、離婚.復縁どっちにも希望がありました。ゴールを見て今の状況を嘆きコントロールできないことに焦っていたことがわかります。
まだ安息や物語が祝福ということがわかりませんが、はるかさんのおっしゃることがわかり始めています。私も“それ”に任せてみたいな。。。と言う気持ちです♪
いつもたくさんのヒントや助けをくださり、ありがとぅございます。
はるかさんのシェアやガンガジのお言葉は人生の暗闇を歩いていた私にとって、持っていた懐中電灯を思い出させてくれる懐中電灯そのもののようです。
今後も配信を楽しみにしてます。感謝を込めて。
from. デルフィニウム | 2011/08/05 10:56 |
デルフィニウムさん こんにちは
 
ご質問をいただいていました。

>>おなじみの物語は私を苦しめますが、
長く楽しまなくなってきました。

素晴らしいですね。
苦しみの物語を楽しんでいたことに気づくことは大変に大きな一歩ですね。

かわいそうな私、惨めな私、加害者の私、または、特別な私、選ばれた私、
いろいろなパターンがありますね。

ガンガジが、おしゃぶりを手放す。と表現なさっていますが、
『私』のアイデンティティーを手放すには、
手放すぞ!という意志が必要ですね。

欲しくなったら
『もういらない!』と、
何度でも、その都度、瞬間的にノーと言えばいいわけです。

結果的には、
そうやって繰り返していると、
いつのまにか、おしゃぶりにまったく魅力を感じなくなっていました。
おしゃぶりなど、握りしめていない方が、ずっと自由で、楽だということが、
体験によってわかってくると、とても自然に、楽な方を選ぶようになります。

そうなると、
物語は、単なるものがたりです。

私が今注意を向けているのは、何だろう?
本当に欲しいのは何? と問いかけることも役に立ちます。


>>はるかさんは長い暗闇から自分を信頼する選択をされたことがおありですか?


これは幸せになる選択だと信じて選択したのに、
結果が、『私』が思い描いていた幸せとは正反対だった、ことはありました。
そのようなとき、自分の思いにしがみついていたあいだは、絶望の物語でした。
いくらかでもコントロールができたときは満足に変わりましたが、それは 状況に左右される一時的な満足で、不安と隣り合わせでした。

けれども、希望にしがみつくのを止めなさいというガンガジの言葉を
心を開いて聞いたとき、ある特定の結果への思い入れを手放しました。

ガンガジがおっしゃる委ねるとは、
『私』にとって都合の良い結果を想定しながら委ねるのとは、違います。
希望を捨てるとはそのようなことです。

完全に委ねた時、
現れている物事や状況、感情や考えがいかようであれ、平安は、ずっとここにあったのだということに、気づきました。びっくりする程、単純でした。

『私』の奥にある平安に気づくと、たとえどのようなことが外側で起きていても、注意を向けるだけで内奥の平安に、安息することができるようになります。

起こってくる現状に、イエス!と言い、まっすぐに向き合ったときに、はじめて知りましたが、苦しみの物語は実際には祝福でした。
想像もしていなかったような深淵な贈り物が隠されていたことに感謝が溢れました。

どのような出来事も気づきを深め内奥の平安を見いだす後押しをしてくれます。
結果の良し悪しを決めているのは、『私』。
『私』の判断など、とるにたりぬもの。
『私』にわかることなど何もありません。

わからないということに気づいたら、
『私』が主導権を握ることが無くなってきました。

“それ” は『私』をどう導くのか。。。
“それ”にまかせるほうが、

ずっと楽です。

One love,
はるか












from. はるか | 2011/08/03 13:54 |
Pika さん

コメントをお送りくださりどうもありがとうございます。
Pikaさんの 自己探求のお役に立つとよいですね。。

Love,
はるか



from. はるか | 2011/08/03 13:42 |
すばらしいご紹介ありがとうございます。
いろいろ共有して考えたいと思います。
from. Pika | 2011/07/24 13:09 |
はるかさん
コメント拝見しました。
探していただいたとのこと、本当に心から感謝します。ありがとうございます。毎日コメント欄も含めて拝読してます。
更新を確認すると、正直胸が弾みます♪
以前、迷惑メールが頻繁に届いたため、Pcメールを拒否していました。
解除しましたので、お時間がおありの時に再送していただけたら幸いです。
娘は元気いっぱいでオテンバになりました。2人で頑張ってます。私に似て感受性が強いみたいでできる限り大切に育てています。
結婚前から旦那のことで傷ついてきた積み重ねが大きな恐怖心となり、また別れても復縁を求められ戻る状態をずっと繰り返してきました。
今も復縁を求められ離婚に踏ん切りがつかず、子供に私のトラウマ(父の浮気)と同じ傷を持たせないために離婚するか、子供のために復縁するか悩んでいました。
私は気持ちがありますが、5年もやっていてもう繰り返したくない、このまま人生を終わらせたくないのです。ガンガジもおっしゃるとおり私は繰り返してる部分に責任を引き受けていないと思います。
もうしないという彼を信じて復縁するか、恐怖心だけの関係を手放すか焦っていました。
そうです、私は「わからない」んです。どうしたらいいか…
でもこれはガンガジのいう成熟した「わからない」とは違いますねっっ。
ただこの状況が嫌だけど、決断をできない自分も責めています。
今日のブログで、焦らず自分に正直でいよう、答えを無理に出すのを止めようと安心感が広がりました。ガンガジはいつも手応えのある愛を教えてくれますね。本当にいつも素晴らしいメッセージをありがとうございます。
これからのご活躍を期待してます。
長々ごめんなさい。はるかさんのご迷惑になる内容であれば削除して下さい。私はどちらでも構いません。感謝とともに。
from. デルフィニウム | 2011/07/22 20:22 |
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