2010年06月の記事 | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
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恐れと呼ばれているそのエネルギーに意識を向けて、深く入り込んでいってごらんなさい


質問者    ここ数年、袋小路に追い込まれているように感じています。頻繁に病気をしますし、何か行動を起こそうとすると、まるで邪魔をするかのように次々と障害が現れ、あなたのリトリートに出ることもできませんでした。とても深刻な状況でした。
それでも、こういう状況なのだから仕方がないとあきらめることで、なんとかやっと心の落ち着きを得たのですが、今度は事故にあってしまい、今とても落ち込んでいます。
わけの分からない何かが立ちはだかっていて、私の行く手を妨げているというような恐れがあり、もっとその奥には絶望感があります。
どうしたらよいのか教えてください。

ガンガジ   私も人生のある時点において、あなたと同じように感じたことがあります。その頃の私は常に病気がちで、何をやろうとしても障害が起きるように感じていました。
状況がだんだんよくなってきたかと思うと、また新たに何かが起こり、突き落とされるという事の繰り返しでした。

私自身が過去に経験したことなのでここであなたに強調するのですが、私はいま、そのときの苦しみに感謝をしています。

人生に起きている出来事を止めようというあなたの努力にもかかわらず、次々といろいろなことが引きづづいて起きる。
それなら、私たちは、この状況を賢く利用して、
あなたの人生のすべてが、あなたに、
『動くな、じっとしていろ』と、ささやきかけているというふうに
受け取ってみることができるかもしれません。

あなたはどこか違う方向へと行きたいし、行かなければならないと感じていらっしゃる。けれどもあなたの人生は、動くなと言っている。

このような場合、
あれこれといろいろな方法を用いてこの状況を排除しようなさらずに、つまり 状況を敵にまわすことをやめると、あなたが欲していない出来事や病気でさえ、完全にゆだねるということを教えてくれる道具となるでしょう。

もちろん、嫌な状況を捨て去り改善するのがまちがっているのではありません。
誰も、病気のままでいることを欲する人はいないでしょう。

けれども、 実験的に、今この瞬間だけ、
病気であることを心から受け入れてごらんになってみてください。
この病気の行く末を自分ではコントロールできないのだという、
ぐらぐらとまったく不安な状態のなかにとどまってみるのです。
お手あげ状態のなかに、じっとしているのです。

繰り返しますが、
気持ちを落ち着けるための瞑想や、どの薬がよく効くのかを調査したり、情報を集めるといったような、病気をなんとかするためにあなたがいままでやっていらしたことを無視するようにと申し上げているのではありません。
そうではなくて、そういう事以前に、
病気であるということを 、今この瞬間だけ、完全に受け入れてごらんなさいと申し上げているのです。

病気や事故というあなたにとって好ましくないこの状況が、
あなたの本質からあなたを遠ざけているというのは、
本当なのでしょうか?

あなたの命の本質は、あなたがいる『今ここ』以外のどこかほかのところにあるのでしょうか?

質問者   。。。。。

私の専門はスピリチャルな分野の心理学なのですが、
私の問題の深い根が、子供時代にあるということはわかります。
それはとてもよく理解しています。
でも、恐れは無くなりません。

ガンガジ  今この瞬間、あなたが理解している事をすべて捨ててしまってください。

質問者    。。。

はい。

ガンガジ   あなたが習得なさったご自分に関する知識や理解は、すべてあなたにとって正当なものですし、大変に有益です。
でもここでは、たった今それらのすべてを手放し、
何もわからない、何も知らないというところにいてください。

質問者    とても恐ろしいです。

ガンガジ   そうですね。

あなたが習得なさったあなたに関する理解や知識は、恐れという、いわば深い海のなかで、どうすることもできず、なす術を失っています。

このようなときにこそ、
この恐れという深い海のなかから浮びあがり、その海の表面であなたご自身を理解なさろうとすることをやめると、最も深淵な発見の機会があります。

繰り返しますが知識や理解は大変に有益です。
けれども、知識や理解は、恐れの奥に何があるのかをあなたに教えてはくれません。

恐れ自身にしか、それをあなたに与えることができません。
開いた心で恐れと向き合うことで、それはもたらされます。

開いた心というのは、
いったいそれがいつどういうふうに始まったのか、とか、
どうしてそこにあるのか、
誰の責任なのか、
どうやってそれから逃れたらよいのか、というような、
恐れを排除するための考えが、そこにない、という意味です。

さあ、
恐れを排斥するいっさいの計画から離れて、
恐れに向き合う準備はできましたか?

質問者   はい。

とても不安です。

以前一度あなたに手を握っていただいてお話をしたときに、
あなたの瞳から溢れている愛を感じて、とても癒されたと感じたことがありました。
今の私も、まるでお母さんに慰められている小さな子供のような気分なのですが、でもこういうことが、恐れと向き合うということではないのでしょうね?

ガンガジ   それでは、いかがでしょう。
あなたの恐れの中に二人で一緒に入り込んでいってみましょう。

質問者   わかりました。

ガンガジ   私はあなたと一緒に、電話を通じてここにおります。
あなたと一緒にここにいます。
ですから怖がらずに、 私たちが恐れという名前で呼んでいるものの中に、開いて、ご覧なさい。

恐れに入り込んでいく時、恐れというこの名前は置いていきましょう。

このエネルギーや振動は、あなたをひどく怯えさせてしまっているわけですが、今あなたは、あなたの友達であり、先生または母親とあなたが感じていらっしゃる私と一緒です。

質問者    はい。

ガンガジ   恐れを取り除かないでくださいね。
ただ単に、それがいったい何なのかを発見するのです。

あなたはこれまで、
恐れを排除するためのいろいろな技術を学ばれてきましたが、それでも恐れを排除できずにいた訳です。
ということは、恐れがあなたに与えたい何かが、そこにあるということかもしれません。

恐れの核心に、かけがえのない何かがあり、
そのことを知らせたいがために、あなたを放さないでいるのかもしれません。

あなたがご自身で発見なさるのを、それは待っています。
ご自身でしか発見する事ができないからです。

今恐れを身体のどこかに感じでいらっしゃいますか?

質問者    はい。感じています。 

ガンガジ   それでは、恐れという言葉で呼ぶのをやめて、
そのエネルギーに意識をむけて、深く沈み込んでいってみてください。
排除するのではなく、出会うのです。

質問者    はい。

(しばらく沈黙)

ガンガジ   どのようなことに気づかれましたか?

質問者    暖かさがあります。

いつもは冷たさを感じるのですが、
とても暖かいです。

ガンガジ   その通りです。

私たちは、恐れは冷たいと考えています。
けれども、恐れをすすんで体験してみると、それは冷たくはないのです。

これはすばらしい発見のひとつです。
つまり私たちがそこにあると思い込んでいるものは、実際にはそこにはないのです。

初めにあなたは、恐れの奥に絶望感があるとおっしゃいました。
確かに絶望は恐れの奥にあります。
けれども、あなたが、すすんであなた自身をあけ開いて、
もっともっと深く、最奥までに沈み込んでいくと、そこには、絶望とは全く正反対の何かがあります。

あなたは、恐れの核心に暖かさを発見なさいましたが、
その暖かさに、さらに開いて、奥深く入り込んでいってごらんになると、
そこには、  
どのような状況にも、どのような人にも奪い取ることのできない『何か』、
病気になろうと、事故が起ころうと、
友人を失おうと、恋人を失おうと、
あなたというアイデンティティーが失われようと、
肉体の死が起きようと、 
たとえ、何がなくなろうとも、
決してなくなりはしない何かが在ることを発見なさるでしょう。

『それ』は、あなたの本質という宝石。
真実のあなたです。 

私たちはこの発見のために、こうして集っているのです。
そのために、私は皆さんのそばにいて、
恐れを一緒に体験しましょうとお伝えしてきているのです。
なぜなら、私は、
恐れのもっと深いところに何があるのか、
それを知っているからです。
恐れの核心にあるのが、恐れではないことを知っていて、
皆様にそのことを保証できるからです。

けれども、それを知るためには、
なんとかしようとすることを一瞬やめて、
そこにあらわれているエネルギーそのものの中に、ただあるがままに、開く、という意志が必要です。
あなたの場合は絶望感でしたが、
そのエネルギーの中に、ただ開く、のです。
大変に直接的で、瞬間的な探求です。

それによってあなたの本質があらわになります。
どなたにも可能です。
保証いたします。
あなたは今、皆様を代表してお話しくださっています。

皆様、同じです。
なぜなら、人間にはだれにでも、失うということに対する恐れがあるからです。
それは自然なのです。

でも、この恐れの前で、じたばたすることをやめ、
恐れとしっかり向き合い、
単純に、いったいこれはなんだろうと、開くことで、
そこに素晴らしい発見があります。

暖かさ、を感じたとあなたはおっしゃいましたが、そのように、はじまりは暖かさかもしれません。
開く、というあなたの意志によって、それはもっと奥へと続いていきます。

私があなたの人生の中に現れた理由はこれです。 
開く、という自由があるのだということをお話し、それをあなたに証明し、保証するために、私はここにいます。

あなたが選択をするのです。
しなければならないのではありません。

でも、あなたが完全に開くまでは、
『たとえどのようなことが起きていようとも、そのなかに、開く』
という自由が、あなた自身にある事に気づかないでしょう。
けれどもそのような自由がある事に気づいたとき、この自由が、今度はさらに大きな自由へとあなたを導くでしょう。
そしてそれは無限です。

なぜなら、命そのものは無限だからです。

人生はあなたに、あるときは、素晴らしいハーモニーや平安を感じさせてくれるでしょう。またあるときは、混乱や分裂を感じさせるでしょう。
それが、人生の自然な姿です。
この惑星のあらゆる形あるものの自然な姿です。

けれども、あなたの命の本質は、なにものからもいっさい影響をうけることはありません。
そしてあらゆるものすべてを、暖かく包み込んでいます。

恐れや絶望、暖かさや感情の核心には、
純粋で、何が起ころうと動じない、広大無限な、燦然と輝く命があり、それがあなたそのものなのです。

あなたのことをお話ししてくださりありがとうございました。
 
私たちを縛り付けているのは、恐れに対する恐怖です。

質問者    胸の奥がとても暖かいです。
私が感じているものが何であるのかは、わかりませんが、
これまでとは全く異なった体験です。

ガンガジ   そうです。
なぜなら、あなたが、恐れを受け入れたからです。

でももし、冷たいと感じているとしても、大丈夫なのです。
どのような結果や、体験がもたらされるかは、私たちに計り知ることはできません。
 
大切なのは、開こう、という、あなたの意志です。
奥へ、奥へと、よろこんで開こう、という意志です。

質問者    ありがとうございます。

ガンガジ   こちらこそ、ありがとうございます。













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恐れと向き合うとは、どのような意味なのでしょうか?


質問者    恐れを避ける事や、恐れと向き合う事について話していただけますか?

ガンガジ   大きなテーマですね。
核心と申し上げてもよいかもしれません。
恐れよりももっとひどい感情がありますが、恐れのようにエネルギーを持つ感情はありません。

恐れは、私たちすべてに共通する感情です。
人間だけではなく、動物なら皆持っています。
危険を察知し生存していくための、生理学的で生物学的な自然な連鎖反応です。
なぜなら、有機体の最大の目的は生存していくことであるからです。

恐れについての、このような精神世界での論議の場合、
『恐れは悪者』というイメージを取り去ることが重要です。
そして、恐れを、恐れそのものとして扱うのです。

恐れをありのままに扱うというのは、時には大変につらいことかもしれません。
でも、つらいという感情よりももっと深いところでは、恐れとは単に、振動しているエネルギーのフィールドにしかすぎません。
そして、もし恐れを、
そこにあるべきではないとか、あるべきだ、というようにあれこれ頭で決めつけることなく、単にエネルギーとして認識することができるようになると、
私たちは、恐れとかかわり合いながらも、その中でもっと意識的でいることができるようになります。
そうなると、恐れは人間に大きな恩恵をもたらします。

先程も述べましたように、ある種の恐れは、いわば正当なものです。 生命体にとって恐れは、必要なことを警告してくれる重要な役目を負っています。 私たちは、成長とともに、正当性のある恐怖を役立て、生きていくうえで利用する能力を養っていきます。
ですから私は、皆さんを、全く恐れを感じないというような状態へと連れて行くつもりなど毛頭ありません。

けれども、私たちが皆知っているように、
今この瞬間の危険を警告してくれるという正当な恐れとは全く関係のない、
例えば、過去の記憶やトラウマからやって来る、正当性のない恐れがあります。
これらの恐れは、世界を深く体験することから、私たちを遠ざけてしまいます。

私はこれまで皆様をご招待し、自由でいるということをお話ししてきました。
そして、自由でいることのひとつとして、感情としっかりと向き合うということをお伝えしてきています。
それは、過去にたとえどのようなことを経験しようとも、
毎瞬、毎瞬の意識的な選択によって、『今、ここ』に心を開くということです。
そのような選択が
可能だということに気づくこと、それが自由でいるということです。

恐れと向き合うということは、実は最悪のことに対して、開く、ことでもあります。
なぜなら、恐れの根底にあるのは、死、だからです。
人によって死の意味は様々です。
もちろん肉体的な死がありますが、その他にも、毎日経験している、何かを無くすという経験も死ですし、人間関係や健康を失うことや、気に入った特別な状態だとか体験を失ってしまう恐れも、死の恐れです。

もし皆様が、恐怖がまるで暴君のように、いかに私たちのある特別な心理、精神的な感情を拘束しているのかということを見てみようという意志があるのでしたら、どなたでも恐怖から自由になることが可能です。
恐怖を体験している真最中に、恐怖に対して、開く、という選択ができるのです。
でも恐怖から自由になるというのは、もう二度と正当性のない恐怖を体験しなくなるという意味ではありません。

それは、不快さやつらさのすべてを受け止め、
あなたの中で、「さあ逃げろ、隠れろ、抵抗しろ」という感情を生み出しているあらゆる感覚を感じ、それに対して、あけ開き、そこにじっとしていることを選択するということです。

正当ではない恐れがあるとき、その堪え難いようなつらさの中にとどまり、逃げず、隠れず、抵抗せず、ただ単に受け入れ、開く、そうすると、恐れは、もう、力を失ってしまいます。

それが、恐れと対面するということの意味です。

いま私が皆様にお伝えしているのは、
『恐れに向き合う能力があるということを発見しましょう』という訓練のお話ではありません。
もっと自由に生きることができるように、
皆様が人生を、いきいきと生ききることができるように、実際に役立てていただきたいのです。

恐れに、真正面から向き合うことにより、
恐れを主人にしてそれにしたがうのではなく、
逆に私たちに奉仕をさせるのです。 

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ガンガジからのメッセージ


私たちの本質は愛です。

愛、
それは、愛している誰かをコントロールする、
といなこ とではありません。

私たちが愛と呼んでいるものには、始まりがあり、途中と終わりがあります。
でも、最も深い意味での愛には、始 まりもなければ、終わりもありません。

愛は対象物ではありません。
それにはいかなる境界もありません。
今ここに愛が在 る、ただそれだけです。

それが愛です。

私たちはお互いの名前さえ知らなくても、
将来がどのこのだとか、
の関係がど関係なのかを頭で理解していなくても、
愛の中に生きることができます。

お互いに関係など全くなくてさえ、愛の中 にいることができます。

なると、その関係は単に愛の関係といことになります。
まさに自由な愛です。
真実の愛です。

実の愛は、
その瞬間にいることができなければ、呼び覚まされることはありません。
愛は瞬間に存在します。

愛は真理です。
して、真理はいつも瞬間に存在します。

今ここにです。

愛の中に在る。
ただそれだけです。

あなた は真実の愛を体験なさることで、
あなたの本質を体験なさることでしょGangaji

 


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愛は対象物ではありません


質問者     私には何よりも大きな望みがあります。
それは、愛の中にいたい、愛したいというものです。でもそれは、何よりも問題が生じやすい願望のようです。


ガンガジ    なぜ問題が生じるのでしょうか?


質問者     そうですねえ。


ガンガジ    本当に問題なのですか?

どのようなときにそこに問題が生じるのでしょうか?


質問者     自分でコントロールができないんです。


ガンガジ    そうですか。

ちょっと待ってください。


あなたの中から愛が溢れてくることを、コントロールができないことが問題なのでしょうか?

それとも、あなたがその愛を、ご自分であれこれとしきりたいけれど、それができないということが問題なのでしょうか?

どちらが問題なのでしょうか?

あなたが、愛する時、愛が溢れてくることをコントロールすることはできませんよね。
溢れてくる愛を止めることはできませんよね。

ただ、愛が溢れてくる、それだけでしょう?

たとえあなたが愛しているその相手が、
本当はとんでもない生き物であったとしても、

(会場笑い)


愛することを止めることはできませんね

そうではありませんか?


あるいは

その生き物がもう、他のとんでもない生き物を愛しているからだとか、

その生き物が、あなたと一緒には暮らしてくれないからという理由で、

あなたの中に溢れてくる愛を止めようとすることはできませんよね。


質問者    家につれて帰りたいのですが、できないんです。


ガンガジ    そう。
あなたと一緒に家につれて帰ることができない。
その通りです。
できないわけですね。

それに、たとえもし、その生き物を手に入れることができるかもしれないとあなたが思われても、
実際に手に入れてみると、
それはまったくどうしようもない生き物だったということが、後からおわかりになるのかもしれません。


(会場爆笑)


愛は生き物という対象ではないのです。


質問者   先週の金曜に、ここに来る途中に、
僕の先生を家に連れて帰りたいって思ったんです。
そうしたら、車のラジオの番組で、

「あなたは、やがて、真実の愛を見つけるだろう」
って誰かが歌っているのが聞こえたんです。


ガンガジ    真実の愛は真理と同じです。


質問者     ラジオの中の歌は、その愛が手に入れられなかったって歌っていたけれど、まさにそれが僕の気持ちだなあと、思いました。


ガンガジ    そうですね。

あなたは、ラジオの歌から、あなたに必要な言葉を聞いたのですね。

そしてそれを、真理におきかえてごらんになった。


質問者。。。。


ガンガジ    それでは、その先生のどこを愛していらっしゃるのですか?

家に連れて帰りたいのは、その先生のどういうところなのでしょうか?


質問者     そうですねえ。

ここに、こうやって出てきたから申し上げるんですけれど、


あなたを愛しているんです。


ガンガジ    わかりました。

それでは、この先生ですね。


どの先生でもいいのですけれど、

それがどのような対象物であろうと、

あなたが愛していらっしゃるのは、その対象物の何なのでしょうか?


質問者     二つ思い浮かんだのですけれど、

まずひとつは、
夢ですけれど、相手も、わたしのことを愛してくれるといいなあと。

ガンガジ     そうですね。わかります。


それが、問題なのですね。


質問者      はい。その通りです。


ガンガジ     それではもうひとつは?


質問者      何かわからないけれど、
この自由、
その愛の歓びの中で、自由でいたいというのかなあ。

ガンガジ     その通りです。

いまあなたは、真実を語られました。

『この人に、僕を愛してほしい』と思い始めると、そこに問題が生じる訳です。


それでは、、それを、脇にどけておいてください。


どうでしょうか?

そうするとそこに、歓びが残ります。

真理だけが残ります。


相手はあなたの名前すら知らないのかもしれないし、

もう二度とその人に会うことがないのかもしれません。

でも、
どういう訳か、
その人があなたの中に眠っていた愛を呼び覚ましたのです。


あなたの中にある真実の愛をです。


質問者    そうです。そうです。その通りです

それが何よりも素敵な気分なんです。


ガンガジ    そして何よりも重要なのです。


そこで、質問です。

あなたには、その愛そのものに、誠実でいようという意志がおありですか?


どうやって手に入れたいかとか、

どうしたら、自分のものにできるのだろうかとか、

どうやって放さずにつかんでいようかとか、

どのようにして自分をその人に売り込もうかとか、

そのように、堂々巡りを繰り返していたマインドに忠実でいる変わりに、

愛そのものに誠実でいることができますか?


愛は、もうすでにあなたの中に呼び起こされて、ここにあります。


それが真理だよと、ラジオの歌がスートラであるかのように聞こえたっとおっしゃいましたが、もうあなたの中に呼び起こされています。


あなたがお話しなさっていたコントロールとは、頭の中にある概念ですね。

『私がこの愛をなんとかしよう』とか、

『この人が私を愛してくれるといいんだけれど』だとか、

『この人が私を愛してくれるようにどうやって自分を魅力的に見せたらいいんだろうか』
というような、概念です。


そうなるともう、あなたは、愛そのものに栄養を与えてはいません。


よろしいでしょうか?

あなたが育てるのは
、今ここにある、愛そのものです。

愛は、ここにあります。

愛があなたの中に在る。


質問者    実際には、コントロールはできないんだとということが、世界中の何よりも美しいんです。


ガンガジ   まさにその通りですね。  


質問者    お会いできて嬉しいです。 


ガンガジ   私もお会いできてとても嬉しいです。

すてきなリポートですね。


私たちは、
お互いに名前さえ知らなくても、
将来がどうのこうのだとか、

その関係がどういう関係なのかを頭で理解していなくても、

関係などまったく何もなくてさえ、
愛の中にいることができるのです。
そうなるとその関係は単に、愛の関係ということになります。

まさに自由な愛です。

真実の愛です。

真実の愛はその瞬間にいることができなければ呼び覚まされることはありません。

愛はこの瞬間に存在するものです。

隠れていたり見過ごされていたり、
しっかりふたがされてしまっていたり、
否定されていたり、

または、理解しているかいないかというような、そういうものではありません。


真理はいつもこの瞬間に、存在しています。

今、ここにです。

 

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ただ愛を愛してごらんなさい


質問者    私の質問は、前の方のとほとんど同じなのですが、

ガンガジ   そう。
質問はいつも同じ。
そのことに気づいたことは素晴らしいですね。

質問は、みんな同じなんです。
ただ、質が違っていたり、趣が異なっているだけ。
ひょっとすると、趣も同じかもしれません。

質問者    実は私、癌なんです。
もしかすると、後2ヶ月余りの命かもしれないということに直面しています。

ガンガジ   そうですか。
とても生き生きと輝いていらっしゃいますね。

質問者    ありがとうございます。

ガンガジ   お身体のことはわかりませんけれど、
あなたのまなざしから、命が、生き生きと溢れていますよ。

皆さんいかがでしょう?
ご覧になってください。

質問者    生き生きとしていることは感じるのですが、
私の身体は死につつあるんです。

ガンガジ   そうです。
身体はどれも、死んでいくものです。
2ヶ月後かもしれませんし、20年後かもしれませんが、
みんな死んでいくのです。
身体には時間の制限があります。

でもあなたは、とても生き生きとしていると、感じていらっしゃる。
なぜ、そのようなことが可能なのでしょう?

質問者    さあ、どういうことなのか、さっぱりわかりません。

ガンガジ   何かがそのことを知っています。

どういうことなのかを理解している何かが、あなたの中におありです。

質問者    でもそれは、ほとんどの時間、
恐れによって覆い隠されてしまっています。

ガンガジ   そうですね。

では、たった今、この瞬間はいかがでしょう?

質問者    今この瞬間は、、、
こんなにたくさんの方々の前で、少しドキドキしています。

ガンガジ   そうですか。

それでは、
会場の皆様を、じっくりとご覧になってみてください。
しっかりと向き合ってご覧になると、緊張が少し楽になりますよ。

会場の皆さんがご覧になっているものをあなたもご覧になっているのです。

質問者    (会場に手を振り)
どなたかが私に手を振ってくださっています。

ガンガジ   彼らがご覧になっているものを、あなたもご覧になっているのです。

ほら、死にゆく身体が見えるでしょう?
いくつかはまだ成長中のようですけれど、、、。

(会場爆笑)

ガンガジ    ここにいらっしゃる皆様方の身体の中にも、
ひょっとすると明日には、もう消えてしまっているものがあるかもしれません。
あるいは、それは、1ヶ月後、2ヶ月後、10年後かもしれませんが、
誰にもわかりません。

これが、生存という現象の自然の姿です。
身体は現れ、やがてはみんな死んでいくのです。

でも、よろしいでしょうか、
あなたはそのようなものよりも、もっと深いところにある何か、
それを、ご存知なのです。

それがあなたの瞳の奥に見受けられるものです。

致命的な病気にかかっておられて、
身体が間もなく死んでしまうことをご存知の方々とお話をすると、
その方々の中に、あなたと同じような表情をなさっている方々がいらっしゃるんです。
そして、そのような表情がお見受けできない方々もいらっしゃいます。

あなたと同じような表情をなさっている方々は、
大変に貴重な、とてつもなく深い何かを発見された方々です。

あなたに意識的にお話ししていただきたいのは、そのことについてなのです。

質問者   癌にかかって以来私が気づいていることの一つは、
どれだけたくさんの方々が、私に愛を注いでくださっているかということです。

時にはそれが、痛みを軽くしてくれます。
軽くはならないこともありますが、
ほとんどの場合、私は価値があるのだという気持ちにしてくれます。

ガンガジ   価値がある。
つまり、あなたは愛を受け入れていらっしゃるということですね。

素晴らしいですね。

質問者   そのように、注がれた愛がいろいろな形となって、私をここに来れるようにしてくれました。

あるものは、ここにくるための飛行機の切符となりましたし、
あるものは、ここまで車でのせてくださるという形となりました。

また、あるものは、私が望んでいた通りに、今こうやって、あなたの手を握りしめるという機会を作ってくれました。

ガンガジ   そして、愛があなたのまなざしから溢れ出しています。

あなたは、いかなる訳か、愛を発見なさったのです。

質問者    はい。体験しました。

ガンガジ   そうですね。

あなたは愛を体験なさった。

これは、私が、真理を体験したことと全く同じことなのです。

私は真理を発見しました。
あなたは、愛を、、、
真実の愛を体験なさることによって、あなたの本質を体験なさったのです。

あなたは、あなたの身体のことをよくご存知でしょうが、
この愛は、あなたの身体よりももっと近いところにあるのではないでしょうか?

質問者    はい。そうです。

ガンガジ   そうです。

質問者    恐ろしい部分は、身体です。

ガンガジ   そのとおりです。
身体が恐ろしい。

恐れはそこにあるのです。

質問者    自分でコントロールができません。

ガンガジ   そうですね。

でも、愛はいかがでしょうか?

質問者    愛は、、、、

愛もやっぱりコントロールできません。
でも、それは、コントロールする必要がありません。

ガンガジ   まさしくそのとおりですね。

そのとおりです。

質問者   先ほど質問をなさった男性がおっしゃっていたことは、なんとなくわかりましたが、あなたが読まれた手紙の方に、私は共感を感じます。

つまり、
私はまだ、癌を愛することができないのです。

まだ余りにも恐ろしくて、、、。

ガンガジ   ただ、愛を愛してごらんなさい。

質問者    えっ。
ああ、そうですか。

わかりました。

ガンガジ   それは簡単でしょう?

質問者    はい。簡単です。

簡単ですが、ただ、癌はその、あまりにも、恐ろしくて。

ガンガジ   心配なさらなくていいんです。
癌を憎んだって、嫌ったってかまわないんですから。

全く問題ありません。

質問者   えっ????

ほんと???

ほんとうですか???

(会場笑い)

ガンガジ   ええ。

質問者    私はてっきり、先ほどの方が手紙に書かれていたように、
愛することを学ばなければならないのかと思っていました。

ガンガジ   私たちは、
常に何かにならなければいけないと、思い込んでいるのです。
そのように考えるようにずっと訓練されてきたからです。

『あらまあ、大変!まだそれは体験していない!
なんとかして体験しなくちゃ!!』
というようにです。

そしてそうこうしているうちに、
今体験していることに気づかずに見過ごしてしまうのです。

今あなたがお話しなさっている、このような場合は、
悲劇的な見過ごしです。

なぜなら、体験なさっているのは、愛なのですから。

質問者   ああ、、、
ありがとうございます。

本当にありがとうございます。

憎んではいけないのかと思っていました。

(会場笑い)

ガンガジ   そうですね。

憎むのは悪いことだというふうに、私たちは考えてしまっています。

質問者    皆さんには滑稽だろうと思いますが、
私にとっては本当に大変だったんです。

ガンガジ   皆、同じ問題をかかえています。
みんな同じなんです。

『憎むのは問題だ。だから憎むことは間違いだ』
というふうに、決めつけてしまうのです。

けれど、そうすることで、かえって、憎んでいるものに釘付けになってしまい、
愛を見過ごしてしまいます。

もしもあなたが、
憎しみを体験なさっているのなら、
憎めばいいのです。
そうすれば、
それをどうこう処置する必要がないですね。

そうすれば、憎しみを押し殺す必要もなく、否定する必要もないですね。
そして、憎しみのために、苦悩する必要もなくなります。

それをそれとして受け入れれば、憎しみはもう、大きな問題ではなくなるのです。

そうなれば、愛を知ることができます。

質問者    最高に素晴らしいことをうかがいました。

ガンガジ   真理です。

皆、憎しみを、、苦しみと同じように、
敵にしてしまっているのです。

そして、
敵は、追い出さなければならないと、いい続けてきたのです。

そう思っていますから、あなたの中に、憎しみがあることなど、
誰にも絶対に知られたくないでしょう?
だって、誰かに知られたら、
今度はあなたが追いやられてしまうかもしれませんものね。

それともあなたは、こんなふうにおっしゃるのでしょうか、、

『なんていうことだろう。私の中に憎しみがわき上がってきたぞ。
私って、なんて嫌なやつなんだろう。
最低のやつだ。
これはなんとか学ばなければいけないぞ、、。』とね。

忘れてしまいましょう。
何もかもが、条件付けの一部です。

質問者    ありがとうございます。 

ガンガジ   何が憎しみよりももっと近く、もっと深淵で、もっと真実なのか、
そのことに気づくこと。

ただ、それだけです。

それは、
『それ自身の時』のなかで、
憎しみの面倒をちゃんとみてくれることでしょう。

そうなったとき、憎しみはサットサンに(真理との出会いの集い)喜んで迎え入れられます。
喜んで、愛の中に迎え入れられます。

憎しみは、孤立したものではありません。
死の収容所へと送られなければならないようなものではありません。
もう二度と見たくないからと言って、
木っ端みじんに吹き飛ばしてしまわなければならないようなものではありません。

愛は憎しみをも、暖かく歓迎します。

マインドには、
二項対立という性質がありますから、
『愛』対『憎しみ』というように対処するのですが、
でも、愛はそうではなく、憎しみをどうしたらよいのかを、とてもよく知っています。

質問者    素晴らしい!

ガンガジ   素晴らしい。
その通りです。

質問者    私、もう、死んでも大丈夫のように感じます。

ガンガジ   大丈夫以上のようにお見受けしますよ。

質問者    大丈夫以上ですか?

どのような意味でしょうか?

ガンガジ   そうですね。

それは、
語られたことがないのです。

愛という言葉は、それを表現するための、本当に小さな言葉です。

でも、それがあなたの瞳から、溢れ出しています。
あなたの命は十分に生かされましたね。

質問者   ありがとうございます。
ありがとうございます。皆さん!








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