2011年06月の記事 | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
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日本語通訳付きの、ガンガジとの対話の集い、開催の可能性



いつもガンガジとの対話を読んでくださる読者の皆様へ

現在のガンガジの健康状態に変わりがなければ、
お呼びすればガンガジは日本に来てくださるでしょう。

150人くらいの参加者があればとのガンガジファンデーションの希望があります。

実際に、どれくらいの方々がガンガジとの日本語の集いに参加したいとお望みなのでしょうか?

集いの形態や、日時や場所、費用はとりあえず置いておき、
ガンガジの集いが行われるなら参加をしてみたいと思われる方は、以下のコメント欄に一言コメントをいただけますでしょうか。

ブログかミクシー上のどちらか一方での意思表示をお願いいたします。大体の人数を知りたいので、両方にダブルと数がわからなくなってしまいます。お願いいたします。
 
Love,
はるか








はるかよりお知らせです comments(84) trackbacks(0)
ガンガジとの対話 日本語字幕付きDVDが発売されます
 


ガンガジとの対話の日本語字幕付きDVDができました。

タイトルは、『愛と感謝』です。

 

愛と感謝に関する、ガンガジのお話や対話が、全部で10編入っています。

そのうちの3編は、以前Mixiとはるかのブログで翻訳をご紹介いたしました。

 

真理の深遠さがそのまま伝わってくる、大変に美しく素晴らしい対話集です。

何度見たかわからない程見ていますが、見るたびに深い気づきが起こりました。


ガンガジファンデーションより秋以降に発売になります。

販売方法など、詳細は決まり次第お知らせいたします。

 

のらニャンコさんこと山田才雅さんの

全面的な技術サポートのお申し出により完成いたしました。


ガンガジも大変喜んでおられます。


どうぞお楽しみに。。。

 

たくさんの愛と感謝の中で

はるか

 

 

はるかよりお知らせです comments(9) trackbacks(0)
進むべきステージなどはあるのでしょうか


ご質問をいただきました。




ガンガジのメッセージをご紹介する上で大切な内容だと思いました。

(タイトル 選択の瞬間に気づきますか。小倉太郎さんのコメントをご覧ください)

 


>実際のところガンガジのセミナーに関しては、その料金等はどうなっているのでしょう?

>やはり「進むべきステージ」等があったりするのでしょうか?

>はじめてのコメントでぶしつけな質問、申し訳ありません。

 



ガンガジが次のようにおっしゃっています。

 



『真理は、いかなる概念からも、いかなる制限からも自由です。どのような制度や事柄からも自由です。

 

段階やランク付け、クリアしなければならないステージ、進むべきステージといったものとはまったく無関係です。


そのようなものがここにあるのなら、それを自由と呼べるでしょうか?

それを真理と呼べるでしょうか?』(ガンガジ)


真実の私に気づく為にグルの祝福や特別な修行が必要なのでしょうか?

という質問には、



『どのようなことがきっかけであなたがご自分自身に気づかれるかはわかりませんが、真実のご自分自身に気づくために、特別な何かは必要ではありません。

真実は、あらゆる制限から一切自由です。』


と答えておられます。



『何故私が壇上にいるのかと思われるかもしれません。いわば芝居のセッティングのようなものでしょう。あっても無くてもまったくかわりはありません。

この会場には、私に何度も会っている方々がおられ、また初めての方々もおられます。けれどもここには、いかなる上下関係もありません。


ガンガジという名前をいただきましたが、これも芝居を楽しむ為のセッティングです。ガンガジという名前は単なる名前で、真実の私は、ガンガジではありません。もちろんそのことはわかっているよね。と、名前をくださったときにパパジはおっしゃいました。


皆様が私を先生とお思いになるのならそれはそれでかまいませんが、実際には私は、ただ、私が体験したことをこうして皆様にお話し、対話している、それだけです。


私が行っているのはセミナーではありません。私は皆様に何かをお教えしているのではありません。私たちは集い、対話をし、お互いに与え、お互いに得るという同じ関係です。

私は皆様と対話することにより、多くを与えていただいています。』(ガンガジ)




このような言葉からもわかりますように、

ガンガジは、彼女との出会いの中で、私たちが新たな概念を作り上げないように、

常に注意を払っておられます。

 

彼女を特別扱いしようとなさる質問者の態度や言動を、

とても丁寧にご辞退なさるガンガジの姿を何度も拝見しています。


ガンガジと一緒にいていつも感じるのは、

ガンガジは彼女が話しておられる真理そのもの、だということです。

 



では、ガンガジの活動について詳しく書きますね。

 



彼女の活動は、数人のガンガジファンデーションのメンバーと、

世界中のボランティアによってサポートされています。

 

集いも、刑務所のプログラムも、ほとんどすべてがボランティアによって開催、運営されています。

 

刑務所のプログラムとは、ガンガジのDVDや著書をアメリカ全土の刑務所に届ける活動です。ガンガジとの対話の集いが刑務所内で開催されることもあります。

最も重い刑を受けた人々が暮らしている刑務所でも、これまで多くの受刑者が真理に触れ、真実の自分自身に気づく幸運に恵まれています。

 

集いに参加したくても経済的な理由で参加ができない方には、奨学金制度があります。参加費の全額、または一部をガンガジファンデーションが代わりに負担するという制度です。

ガンガジの活動、寄付、著書やDVDの売り上げが奨学金制度に用いられています。

 

どのような境遇にあっても真理を探究したいという、強い意志や熱意のある方々をサポートしたいとガンガジがおっしゃっています。

 



ガンガジのリトリートや集いの参加費は大体以下のとおりです。

英語の集いの参加費です。(通訳なし)

どうぞご参考になさってください。

 

オープン ミーティング (予約なしに誰でも参加できる集い) $20以上の寄付

 

電話ミーティング  (電話やスカイプを利用した集い) $28


3日間の通いのウイークエンド集会    $300 前後

 

5泊の宿泊リトリート(修養会)    $500  前後

 

リトリートの宿泊費は上記の参加費に含まれていません。

5月におこなわれたフォーレン リーフ レイクでの沈黙のリトリートは、

5泊分のホテル代が、一日3食込みで$800$1600(部屋タイプにより参加者が選択)

ホテル敷地内のキャンプ場は、食事込みで$500  食事なし$180でした。

食事はベジタリアン、非ベジタリアン、どのような方々も満足できるようなビュッフェです。


ガンガジの集いは、普通、午前と午後に約一時間半ずつ、ガンガジとの対話の時間が設けられています。

その他の時間は、基本的には参加者はそれぞれが自分と向き合いながら静かに過ごす時間です。泊まりがけのリトリートではビデオ会なども企画されますが、参加は全く自由です。

 

集いは静かな環境を選んで行われます。

五月に行われたリトリートは、山奥の湖畔にあるホテルでの開催でしたが、ガンガジとの対話の時間以外は、参加者は山をハイキングしたり、カヌーをこいだり、湖畔に座って静かに過ごしたりと、思い思いに過ごしていました。

 

泊まりがけのリトリートの場合は、小グループのセッションがあり参加者のすべてがガンガジと直接お話ができるような時間も設けられています。


個人だけを対象にした対話はおこなわれていません。




『対話をお読みになればお気づきになるでしょうが、どの対話もすべてがあなたの一側面です。

自己検証のお役に立つように、すべての対話を録音し皆様がご覧になれるように提供しています。』(ガンガジ)




翻訳が皆様のお役に立ちますように。。。

All love,


はるか



 

 

 

 




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たった今、やめる

 

ラマナからのプレゼント。

それは、自己検証です。

 

あなたとは本当は誰であるのか、

ということへの自己尋問です。

 

何が本物なのでしょう?

ここに在る、『真実』は何なのでしょう?

そして何がまぼろしなのでしょう?

 

通り過ぎて行ってしまうものは何で、

永遠に続いているものは何なのでしょう?

 

不滅のものは何で、一過性のものは何でしょうか?

そのことに対する偽ることのない調査です。

 

私の言葉でお伝えするなら、

『真実を語りましょう。ただ、本当のことを語りましょう。』

ということになります。

 

この言葉をお聞きになった皆様は、

『今、嫌な気持ちだ。

そうか、真実とはこのことだな。』

『嫌な気分。これが真実だ』

と、このように表面的なことだと思い込まれます。でも、それは、真実ではありません。

 

嫌な気持ちはあなたの感情です。

あなたがそのように感じているというのは本当ですが、でも、それがあなたの真実ではありません。

 

あなたがどう感じているかを知ることができるのは重要です。

でも、あなたの『真実』は、どのような感情よりももっと深く、もっと近くにあるのです。

 

「嫌な気分だ」というときに、それが真実であるというふうに、そこでおさまってしまわずに、もっと深く調べてごらんなさい。

 

表面的な真実を、それが真実なのだというように、そこで落ち着いてしまわずに、

例えば、嫌な気分なのは一体誰なのか。嫌な気分だと感じているのは何なのか。

という具合に掘り下げて調べてみるのです。

 

以前、あるグループの方々に、

「私自身が、私という被害者のストーリーを語っていたことを知らなかった」

とお話ししたことがあります。そのことを昨日は皆様にお話しいたしましたが、

私は、それが真実だとすっかり思い込んでいたのです。

 

つまり、

『ひどいことが私の身に降りかかった。それが真実だ』

と思っていたのです。

私は惨めだと感じ、それが私の真実だというふうに信じきっていました。まるで、信仰です。

 

でも、私がお話ししている真実というのは、そういうことではありません。

 

いろいろなことが起き、ある体験をしたというのは本当でしょう。その体験は嫌な体験、あえてそのように申しますが、そのようなものであるかもしれません。

でもその体験や、考えや、嫌だという感情よりも、 もっと深いところ、もっともっと近いところにあるのが “真実” なのです。

 

条件づけと苦しみ、という私たちの存在の仕方は、 どのように感じ、どのように体験したかを “真実” として受け取りますが、そこに苦しみの連鎖が生まれます。

 

感情や考え、心の状態やあなたの状況、といった表面にとどまり、“あなたの物語”、つまり、感情の物語、身体的物語、精神的物語、状況の物語、といったそれを、芝居の出来事と受け取る代わりに、事実なのだと受け取るところに、苦しみの連鎖があります。

 

感情としての物語は、怒りや、または祝福であるかもしれませんが、

それは真実ではないのです。

 

私がここでお話ししている区別 、真実に関する区別が、おわかりになるでしょうか?

 

理解のための重要な鍵だと感じます。優れた叡智の一つです。

 

私たちはあまりにも表面的なレベルで生きてきました。そして表面的であるがために苦しんできました。

 

なぜ苦しんできたのかというと、それは、私たち一人一人の中に、

本当の自分自身を知りたい、

それを、感じ、表現し、それに出会いたいという、

真実の深み、真実の存在としての深みがあるからです。

にもかかわらず、

『そうよ。こんなことが起きたのよ。これが真実なのよ』

という具合に、表面で収まってしまうと、それ以上の深い事実が見過ごされてしまうのです。悲劇的な見過ごしです。

 

ですからパパジが、

Stop』と言ったのは、実際に、

物語りを語るのをやめてご覧なさい、という意味なのです。

 

一瞬です。

 

一瞬よりももっと短時間で、あなたの物語を語るのをやめるのです。

それがたとえステキな物語だとしてもです。

ただ、やめる。のです。

 

そうすると、即座に真実があらわれます。

 

あなたが物語に埋没しそれを語っている間は、あなたは真実を語れません。

あなたが真実を語るなら、あなたはもう物語は語れません。

 

あきらかでしょう?

 

素晴らしい宗教や、研究機関、そして、救世主やアバター、そのようなすべてが、

このシンプルな直接性のことについて言及しています。

(訳者注 認識の対象が、間にいかなる媒介も無く存在すること)

 

 止める

 

あなたの中であなたの物語を語るのを止めてごらんなさい。

たった今です。物語が、もうちょっと良くなってからではありません。悪くなってからでもありません。たった今です。

 

昨日ここで、先延ばしさせるということについてお話しになった方がいらっしゃいましたが、まさにそうです。先に延ばすのをやめるのです。

あなたの物語を語るのを、たった今“やめる”のです。

そうすると、真実があらわれます。

はっきり明確にわかるかもしれませんし、そのように感じられるかもしれません。

どのようにあらわれても同じことです。

 

私にとって興味があるのはこのことです。

 

これが、私の師であるパパジが、

私を、こうして皆様のところに送り込んだことの理由です。

皆様にやめるように告げ、それが可能だということを証明し、それは簡単にできるのだということをお目にかけるためです。

 

そのようなことは困難で努力が必要だ、と言うのは、やめることへの抵抗です。

抵抗は、次のような希望からやってきます。

 

物語が、いつかあなたが欲しがっているものを与えてくれるかもしれない。

あなたの物語を、感情的にも、ほんの少し必要な手直しをし、変化させることができれば、やがては欲しいものが手に入るかもしれない。

 

皆様はそのことをよくご存知でしょう。

皆様はそのようなことを経験なさっているからです。

 

確かに、物語を変えることはできます。よりよい物語に変えることはできます。

それは素敵でしょう。あなたの物語をよりよいものにするために、

私は、援助をおしみません。もっとよい物語の中にいる方がいいのは当たり前ですから。

でも、私があなたの物語の中に現れたことの目的は、“やめる”ということへお誘いするためです。

 

たった今です。

 

あなたがご自分の物語を語るのをやめた時、あなたは私の物語を語るのもやめるでしょう。また、彼の物語や彼女の物語を語るのも止めるでしょう。

そうすると、一瞬にして、あなたは、あなたが何であるかを見いだすでしょう。

 

そうなると、そのあとで、また物語が現れたり消えたりしても、もう、あなたが誰なのかということに関しては、まったく揺らぐことはありません。

 

それはまるで、夜、眠りのなかで夢を見るようなものです。

夢には始まりがあり、終わりがあり、夢を見ているときはまるで本当に起きているように感じられますが、それは明らかに夢ですね。

これが目覚めるという意味です。

 

夢の中にいながらにして目覚める。あなたの物語が終わる前に目覚める。

 

それぞれの物語はやがては終わります。この肉体という物語はいずれ終わります。

この精神という物語も、この感情という物語も、やがては終わります。

 

物語のまった中にいて目覚めている。これは、夜、とてもはっきりしている夢をみているようなものです。あなたは、はっきりとした生を生きる可能性を持っています。

明晰な生です。真正の生です。

 

肉体の物語は続くでしょう。この身体にも、あなたの身体にも、物語があります。

遺伝や環境や、子どもの頃の栄養や栄養不足、そういったように、それぞれの物語があり展開して行きます。

 

でもあなたは、物語が現れ出てくる源である、明晰さです。

身体の物語が向かっている場所に関わらず、あなたは、それが現れ出てくる、源である、澄み切った光です

 

あなたの注意が、身体的な物語や、精神的、感情的、状況的な物語から抜け出ると、

あなたは一瞬にして、あなたの真我とは、明晰で澄み切った、無限な広がりであることを知るでしょう。

 

それを言葉で定義することは不可能です。

 

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