2011年07月の記事 | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
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(この対話は、

タイトル/正しい選択はどうすればできるのでしょうか? の後半です)



ガンガジ    あなたのご質問をもう少し具体的にしていただけますか?

 

あなたという形態において、

どのような人生の選択のことをお尋ねになっているのでしょうか?

 

質問者   毎日の生活の中での選択なのですけれど、

 

ええと、、、

 

あれこれとたくさんの選択があり、私たちはその中で選択をしていますよね。

たとえば、

瞑想をする時間、テレビを観る時間というように。

 

さあ、そろそろ瞑想をする時間だぞと、、、、

 

ガンガジ   だけど、テレビがみたいと。

 

(笑い)

 

しなくてはならないこと、対、したいこと。という訳ですね。

瞑想はきっとためになるけれど、テレビの方が面白いし、

 

質問者    ええと、、、

 

瞑想がいつも退屈な訳ではないです。

たまに、とても静かな境地が得られることもあります。

 

ガンガジ   それは素晴らしいですね。

 

質問者    ええ。

 

ガンガジ   ではもっと瞑想なされば良いのではありませんか?

 

(爆笑)

 

質問者    (うなずきながら)

ええ、それはそうなんですけれどね。

 

ガンガジ   そうなさりたいときはそうなされば良いのです。

 

質問者    おっしゃる通りです。

 

。。。

 

この例は良くないな。

何か他の例はないかなあ。

 

(笑い)

 

ガンガジ    あなたがおっしゃっているような選択は、

人生の選択のようには見えません。

小蠅がやってきては飛び去っていくようなものです。

 

質問者     そうですね。

 

ガンガジ    それなら追っ払ってもいいですし、

それとも飛び回るままにほっておいてもいいのではありませんか?

どちらに決めようが、たいしたことはありません。

 

深いところからイエスかノーかというような、大事な瞬間という訳ではありません。

表面的な、イエス、ノーです。

お好きなようになさればいいでしょう。

 

私がお話ししていたのはそのような表面的なことではありません。

 

質問者    。。。

 

じゃあ、私が例えば常にテレビを観る選択をしたとしても?

 

ガンガジ    

かまわないのではありませんか?

そのようなことはどうでもいいことではありませんか?

 

毎日ホットドッグを食べていたってかまわないのです。

 

(爆笑)

 

質問者    僕はベジタリアンじゃないですし。

 

ガンガジ   じゃあ、まったく問題なしですね。

 

(爆笑)

 

思考は、

 

正しい選択をし、

これをやっていれば、きっとあれとあれが手に入るぞ。

という具合に先走りをします。

 

もしあなたが、毎度正しい選択をし続けていたとしたら、

いったい何が手に入るのでしょう?

 

質問者    ええと、、、、

 

テレビか、瞑想かという選択で言うなら、

もし瞑想ではなくテレビを選択してしまえば、私はあまり良い気分ではないだろうと思います。

そして瞑想を選択すればきっと、とても満足だと考えるだろうと思います。

 

ガンガジ    その満足感は、どちらも一時的なものではないですか?

 

質問者     ???

ええ。その通りです。

 

ガンガジ    あなたは、一時的な満足ではない、

“何か” が欲しいでしょうか?

 

質問者    。。。。

 

ええ。

 

ガンガジ    少し躊躇なさっていますね。

 

質問者     。。。

いえいえ。

 

ええと、、、、

はっきりしています。私は一過性でない何かを望んでいます。

 

ガンガジ   本当ですか?

 

質問者    ええ。

確かです。

 

ガンガジ   それでは、

あなたがテレビを見ているときも、瞑想をなさっているときにも、

変わらずにここに存在している それ“ を発見なさってください。

“それ” があなたの真我であることに気づいてください。

 

私がいつも提案していることです。

よし!  と言って、向き合おう、という私の提案はそのような意味です。

 

質問者    。。。

 

(うなずきながら)

 

私の人生のあらゆる瞬間のいまここに、“不変の意識” が存在しているとおっしゃるのは、何となくわかる気がします。

私がテレビを見ていようが瞑想をしていようが関係なく。

 

でも、

テレビを見ているときよりも瞑想をしているときの方が、

私はそのことによく気づいているように感じるのですが。

 

ガンガジ   瞑想をしているときは、 “それ” がもっとたくさん存在しているのでしょうか?

 

質問者    ???

 

いいえ、そうではありません。

 

ガンガジ   ですから、どちらを選択しようと関係がありません。

 

あなたが、どちらを選択したら良いのだろうか、と考えておられるのは、

選択をすることによって欲しいものが得られると思うからでしょう?

テレビを観る楽しみだとか、瞑想で得られる境地だとか。

それなら選択すればよいではありませんか。ホットドックを選ぶようにね。

私たちは幸運なことに、誰もが自由に選択ができるのです。

 

ホットドックを毎日食べたり、一日中テレビを見ていれば、

当然身体の具合が悪くなるかもしれません。精神的にも感情的にも余り良くないなと、気づくかもしれません。

 

当然のことですから、

そのようなことは、いちいち考える必要もありませんね?

そうではありませんか?

 

いかがでしょうか?

 

 

質問者    ええ。

 

ガンガジ   一体、あなたのご質問は何でしょうか?

 

質問者    (苦笑)

 

そうですねえ。

いい例えが浮かばないです。

 

私の頭には、 一日に何度も、日常的にたくさんの疑問が浮かびます。

 

ガンガジ    たぶんそれは、ほとんどがあなたの頭の中の思考の活動です。

そのような疑問、思考のおしゃべりをいちいちとりあげて楽しむ必要はありません。

 

ホットドックを選択するか、それともしないか、

そのようなことは一瞬にして決めればよいことです。

わざわざそのことに関して思考をあれこれと巡らす必要はありません。

テレビも、瞑想も同様です。

頭の中で、ああなのか、こうなのかと議論する必要はありません。

 

あなたがご存知の通り、今ここに、変わらずに存在している “それ” があります。

注意を向けるのはそれです。

 

質問者   (しばらく沈黙)

 

ガンガジ   いかがでしょう?

 

質問者    。。。。

 

少し混乱しています。

 

ガンガジ   混乱は思考の一つの状態です。

わからない、というのと同じです。

 

大変よいサインです。

 

(ガンガジ、両手を広げ)

 

混乱したままでいてください。

思考を働かせてわかろうとせずに、わからないままでいてください。

 

内側での議論をおやめなさい。

 

質問者    あなたがおっしゃることは理解できますが。

 

ガンガジ   それは良かったわ。

 

質問者    ええと。

 

やっぱり疑問がわくのですが。。。

 

(笑い)

 

私の真我に常に注意を向けるようにとおっしゃっているのですよね。

常に、どのようなときも。

 

ガンガジ   やってご覧になったらいかがでしょう?

 

やってご覧になってはいかがでしょう? とりあえず実験的に。

 

やってご覧になったときにはじめて直接的に体験なさるでしょう。

 

本当に欲しいものが何なのを直接的に知ったうえで、

それでも頭の中の議論に戻りたいのならば、

そのような選択をなさるでしょう。

 

質問者    どちらがよいかは、もうすでにわかっています。

 

ガンガジ   体験なさった時はじめて確かになるでしょう。

生きた体験としてです。

 

思考の議論を悪者にしている訳ではありませんよ。

役に立つ場合があります。役割があります。

 

けれども、私たちの思考には、

答えを探し求め、何度も何度も、あれこれと議論したがる傾向があるのです。

 

ただ単純に、やめてご覧になることです。

 

質問者    (黙ってうなずく)

 

どうもありがとうございます。

 

ガンガジ    こちらこそ、どうもありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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正しい選択はどうすればできるのでしょう


質問者    何かを選択をしなければならない状況がある場合、

どちらを選べばいいのかをどうやって知ることができるのでしょうか? 

 

ガンガジ   あなたにはどうなさっているのですか?

 

ご自分の真実を否定なさっているとき、何かサインが感じられますか?

 

重要な質問ですね。

 

私たちは、

思考に頼り、

『あっ、こっちが正しいな』と判断し、

あるときは感情に従い、

『これが正しい選択のような気がする』と決定し、

またあるときには、

『よし、直感が働いた! 絶対これだな』と、

そのようにして選択する訳ですが、

何に従って決定したとしても失敗することがあります。

だれもが経験しています。

そういう失敗を何度もしていますね。

 

(笑い)

 

質問者    決定する前にどうやってそれが正しい決定なのかが

まだわかりません。

 

ガンガジ   わかるような何かではありません。

 

質問者    自分で気づいているのは、

真我に従った決定を行ったときには、後に、

こみ上げてくる歓びのようなエネルギーがあります。

正しい選択だったという確信というのでしょうか。

でもそれは、後から感じることです。

 

先にそれがわかるにはどうしたらいいのかなあと。。。

 

ガンガジ   どうやってコントロールできるかという訳ですね。

 

(笑い)

 

質問者    まあ、そう言われればそうです。

 

ガンガジ   どうやったら、思い通りに仕切れるか。

 

質問者    そういう言い方もできるかもしれませんが。

 

ガンガジ   ただ一つの答えは、

 

“私たちには知る由もない” ということです。

“わからない 

 

それだけです。

 

あるがままに心を開き、そこから発見なさることです。

誤りをおかすことに喜んで心を開く意図をし、

真実を語ろうという意志を持つことです。

つまり、

どのようなことが起ころうとも、

それを喜んで体験しようという意志を持つことです。

 

質問者     行動を起こすという意味ですか?

 

ガンガジ    止まる。のです。

 

そして何が起きるのかを待つのです。

もしそこで行動が起きるのなら、そのようになさればよいでしょうし、

行動が起きなければそれもよいでしょう。

その後、どのように展開していくのかを発見なさればよいでしょう。

 

はじめに、STOP

止まるのです。

 

とまれば自然に開きます。

 

質問者     考えることをやめるのですね。

 

ガンガジ    ええ。

 

私たちは、ああでもない、こうでもないと、考えます。

それをただ、やめるのです。

 

“何もわからない”

 

わからないままに、

心を開く。

 

パパジが、

待って、見守る。

ということをおっしゃいました。

 

『やってみましょうか、どうしましょうか』

と、質問する者たちに、

 

『待とう。

まだ、心に落ちないから。』

と、パパジは答えました。

 

そうすれば誤りを犯すことがないという意味ではありませんよ。

誰だって誤りを犯します。

神だって間違います。

皆さんも同感ではありませんか?

 

(笑い)

 

誤りは人生の経験ですね。

私たちは誤りを恐れます。

自分や誰かを傷付けるかもしれません。死ぬ程までに。

 

もちろん恐れた方が良い場合というのも確かにあります。

でも、

誤りを犯かすことに対し非常に大きな恐れを抱くことは、

非常に大きな誤りです。

 

(笑い)

 

隅の方にいて、

知識を増やし、

これはいったいどのような意味だろうか、

どうすれば良いだろうかと方法を考えてばかりいて、

そして、突然、気づくと死ぬときがやってくるのです。

 

(爆笑)

 

誤りを犯すかもしれない。

誤りはあなたを死に至らしめるかもしれない。

これが人生の現実です。

家の中にいても死ぬかもしれませんしね。家が崩れて。

地震や津波が世界のあらゆるところで起きています。

そういうことが起きることは誰もが頭では理解できますが、まさか自分にとは思いもしないでしょう。

そして、こうすればきっと大丈夫だろう、ああすれば大丈夫だろうと、免れる方法を

あれこれと考えます。

 

もちろん私たちには考えて予防する能力もあります。思考の役割は重要です。

 

でもあなたは、“止まる” ことができます。

そして心を開くのです。

 

(ガンガジ、胸の前で両手を大きく広げる)

 

ご自分で発見なさってください。

 

そうなれば、あなたの人生は探求となります。

発見の人生です。

身体的、精神的、感情的、状況的な発見という多次元の発見です。

 

そうなると理性は、仕切るかわりに従うことになるでしょう。

理性は、理解しようとがんばるかわりに、

 

『あれっ。わあ、そういうことか』

と、発見をするでしょう。

 

『こりゃあ、失敗だったか。』

『わあ、ひっぱたかれたぞ。』

 

またはその逆かもしれません。

 

ひっぱたかれたかと思いきや、

実は、最高の快挙であった。

 

が、

そう思ったとたんに、はり倒されたと。

 

(爆笑)

 

ですからね、結局のところ、

 

わからないんです。

 

わかろうとするのを止めるというよりも、

“わからない” と気づけばいいのです。

 

そうでしょう?

初めから何もわからないのです。

 

なんという解放ではありませんか?

 

 

わかろう、理解しよう、となさるのが混乱の原因です。

理解したいのに理解できないという欲求不満があるのでしたらそれを助け舟として利用することができます。

 

内側に炎が燃え上がるのを許してごらんなさい。

胸の奥に熱がありますね。エネルギーです。

 

理解したいから、なんとかしようと画策したり、自分にむち打つかわりに、

ただこのエネルギーが胸の奥に燃え上がるのを許してご覧なさい。

 

人生は冒険ですね。

その中には、死んで動かないような部分もあれば、聖なる部分や

ごくありきたりの部分、危険な部分や、至福の部分や、退屈な部分もあることでしょう。でも、あなたがそれらすべての核なのです。

失敗の中に、成功の中に、あらゆる瞬間の中に、そのような部分を発見するのです。

 

あなたが、失敗だと思ったその瞬間に、

よし!と言って向き合うなら、失敗は大変大きな助け舟です。

もちろん失敗はうれしくはないでしょう。でも、力があります。

そして役立ちます。

 

理解しようと思考を働かせず、わからないままでいることをご自分に許してごらんなさい。

 

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最終的に私たちにはコントロールができないという事に気づいてください

 

質問者    近日中に腰の骨の手術を受けます。

人工の股関節を取り付けるんです。

 

恐ろしくて、恐ろしくて、

たまらないです。

 

(泣きながら)

 

でも自分自身に責任を持って、できる限り心の準備をしようと思っています。

いままでもそうしてきたように。

 

(涙を拭い)

 

あなたとの対話は、真実の私が何かを思い出させてくれます。

 

手術の日が来たら委ねなければならないことがわかっているのに、、、

ええもちろん委ねるつもりではいるのですけれど、、

 

ガンガジ   たった今、委ねてご覧になってはいかがでしょうか?

 

質問者    そうですね。

わかっています。

 

今そうしなくちゃならないということはちゃんとわかっているんです。

本当にそうしたいのですが、私のある部分が抵抗するのです。

 

恐れるべきではないのはわかっているんです。

 

ガンガジ   わかります。

私たちは誰もが、遅かれ早かれこのようなことに直面します。

 

あなたがお話しなさっているのはコントロール願望です。

自分で自分の感情をコントロールすべきだし、身体もコントロールすべきだし、結果もコントロールすべきだと。

 

でも、気づいていただきたいのは、

あなたがコントロールしているのではないということです。

 

質問者    わかっています。そうではないのは。

それが恐ろしくてたまらないのです。

 

ガンガジ   そうでしょう。

 

でも本当でしょう?

 

あなたの感情は、あなたが望もうとも望まずともやってきます。

あなたが置かれているような身体の状態だとか、私たちが望んでいない結果も、やってきてしまいます。

 

ですから 今この瞬間、ここで一緒に、

そのことに心を開いてご覧なさい。

 

最終的には、あなたには何もコントロールできない。

 

ところどころで、しばしの間はコントロールができたこともあるかもしれません。

でも、あなたが今置かれている状況をあなたはコントロールすることができません。最終的にはできません。

 

そうではありませんか?

 

質問者    まったくその通りです。

 

ガンガジ   そうですね。

 

それで? 今どのようにお感じになりますか?

今この瞬間です。

 

質問者    ええと。

 

今感じているのは、

 

今なら、、、

この瞬間なら大丈夫な感じがします。 

この瞬間ならば。。。

 

ガンガジ   (笑い)

 

質問者    今この瞬間だけだったら。。。

 

(笑い)

 

ガンガジ    たった今この瞬間、あなたには一切コントロールができません。

そして、たった今この瞬間、あなたは大丈夫とおっしゃっていますね。

 

質問者    ええ。

 

ガンガジ   問題が起こるのは、

 

対話が終わったらどうだろうか?

明日はどうだろうか?

入院したらどうだろうか?

 

と、“あなた” が考えはじめたときです。

 

 

質問者    その通りです。

 

(笑い)

 

滑稽です。

もちろん自分でもそのことに気づいて笑ったことがあります。

 

ガンガジ   そうでしょう。そういう体験がおありだったことでしょう。

 

でも、私がお話ししていることはもっと大変新鮮なのです。

 

『こんなことはずっと前にわかっていたのだから。』

 

とあなたはおっしゃり、

それが、

 

『だからこんなふうに感じてはいけないのだ。』

 

という考えと一緒になり、

そこでまた、

 

『ああ、自分の感情をコントロールしなくちゃいけない』

 

となると、

 

あなたは、私たちの中にある巨大な力、 死への恐れや、居心地の悪い感情や、苦しみへの恐れ、望まない結果への “恐れ” を否定しています。

 

人間として、動物として、あなたに表れる感情をコントロールすることができないことに気づく。

あなたは人間なのだという事実をコントロールすることはできないことに気づいてください。

 

質問者    はい。

 

ガンガジ   そのことに気づくと、あなたに感情が起こった時、

『委ねなければならない』と、ご自分自身に言い聞かせているよりももっとずっとずっと “委ね” の近くにいます。

 

つまり、“委ねなければならない” とあなたが考えているのならそれはまだ、

コントロールです。

 

質問者    あなたが今おっしゃったことを心の深いところで覚えていることもあります。

でも、ついつい忘れてしまうんです。

 

ガンガジ   覚えていることはできません。

 

全部忘れてしまいなさい。

 

質問者    (笑い)

 

ガンガジ    全部忘れてしまいなさい。

忘れてしまったときに今ここにあるのは何でしょうか?

 

覚えていなくては “ならない”、

覚えている “べき” ことを、忘れちゃいけない。

 

(爆笑)

 

とあなたが言っているときはまだ、、、

 

質問者    (爆笑)

それはまたコントロールですね。

 

ガンガジ    そのとおりです。

明確でしょう?

 

かといって、あなたが直面するかもしれない身体の痛みが減るとか、

前もって計画しておく必要のある事柄が減る訳ではありません。

そういう事を申しているのではありません。

 

例えばスケジュールを調整し計画を立てたりというような、私たちがコントロールできる事柄がある中で、“最終的” には私たちは全くコントロールができないということに気づく重要性をお話ししています。

 

ガンガジ    どれほどコントロールしたくとも、最終的に私たちは何もコントロールができない。

そのことにお気づきになると解放があります。。

 

なんと大きな解放でしょう

 

参加者    本当ですね。

 

ガンガジ   手術の日取りは?

 

参加者    あと16日です。

毎日数えています。

 

(笑い)

 

ガンガジ    愛に委ねなさい。

あなたのハートの中心に委ねてご覧なさい。

あなたの真実、今ここの存在に委ねてご覧なさい。

 

質問者    (うなずく)

 

ラマナと牛が並んで移っている写真を持って手術に望むんです。

とっても好きなんです、あの写真。

 

(笑い)

 

ガンガジ   ラクシュミという名の牛ですね。

 

質問者    はい。

 

ガンガジ   あなたにベストが起きることを願います。

 

そして、気づきが訪れますように。。。

 

 

 

 

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