2013年09月の記事 | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
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やるべきことがあるとすれば


質問者   あなたとお話しするのは今日がはじめてです。

ガンガジ  そうですか。それはようこそ。

質問者   ドキドキしています。

一体何を話すつもりなのか自分でもわかりませんが、
あなたの前に座りたいと思いました。

ガンガジ  何をしたいかなどわからなくて結構ですよ。
わからない方が、かえって良いですね。

質問者   以前、幾度か集会に参加をしていますが、
何度手を上げても、一度もあなたに指名されたことがありません。
がっかりして、ついには、二度と手を上げてなんかやらないぞと言う気分に陥っていました。

(ガンガジ 会場   笑い)

質問者   私の旅に関して分かち合いたいと思います。

人生の旅路のある時点で、立て直しがきかないかもしれないという程、どん底だったことがあります。
それでもやっとのことで立ち直ることができ、学校に入りました。
やがて職に就き、
『ああ、これで銀行からお金を借りてローンで車が買える』と思い、自分でもとても誇らしく感じました。
けれども実際には、銀行はお金を貸してくれませんでした。
私はまたひどく落ち込んでしまいました。

そんなある日の朝、
ソファーに寝そべりだらだらとテレビを見ていたら、あなたが映っていました。後から知りましたが、そのころ私が住んでいた町では、毎週土日の朝にスピリチュアルの時間という番組があり、その日は、ガンガジを放映していたのです。

私は、
『この女性の声は気持ちがいいなあ』と、ちらっと思いましたが、
すぐに、ほかのチャンネルに変えました。
アニマルプラネットの方が面白そうでした。

(ガンガジ 会場 笑い)

ところが次の日、同じ時間にまたあなたが映っていました。
男の人が、あなたに質問をしていました。
『毎日、毎日、真剣に瞑想をしているにもかかわらず、
ちっとも幸せではありません。』

するとあなたが言いました。
『じゃあ瞑想をやめたらいかがですか?』

(ガンガジ 会場 爆笑)

あなたのことが気に入ったと、
そのとき私は思いました。

その後、あなたをテレビで見ることは無かったので、
ネットで調べて探し出しお話を聞きました。
一年くらい熱心に聞いたと思います。
そして何度か、
『なるほど、わかったぞ!』という、合点の瞬間も体験しました。

『そうか、ガンガジは何もするなと言っている。だから、何もしなくていいんだ!』 
と、そう思って過ごしていましたが、そのうちにまた、惨めな気分になっていきました。

あなたが町にやってくると聞きはじめて集会に参加した時のことです。
あなたが部屋に入って来るのを目にした時、 
私はふと、
『自分は、な〜んにもわかっちゃいない』と感じました。

”なに一つわからない”

これが本当の始まりでした。

なんだろう?
何かを見落としている。
ガンガジは、何もしなくていいと言ったけれど、
それは、ただ何もしないで過ごせという意味じゃない。
いったいなんだろう?
私は自問しました。

せっかくいただいた、”今ここ” という大切なギフトなのに、
ないがしろにすることはできない。

そこで、私は、
もっと注意を払い始めました。

そして発見したのは、
”意識的でいる” ということです。

注意を払い意識的でいることが、与えられたこのギフトを尊重し、愛することなのだ、
植物に水や栄養をやるのと同様に、そうすることでいただいたプレゼントが生きるのだ、と発見しました。

ガンガジ   (うなずく)
そのとおりですね。

質問者   私は、とても幸せです。
心から幸せです。

ガンガジ   あなたは大変明確に話されました。
あなたがおっしゃったことはすべて、とても根本的で重要ですね。

質問者   これを知ることがなかったなら、一体私はどうやって生きているのだろうかと、特にここ数年そう思うことがあります。

新しく開発された薬を、しばらくの間実験的に使用したのですが、
4ヶ月後に、副作用で視力のほとんどを失いました。
今は顔の前でかざした自分の手さえはっきり見ることができません。
でも、幸せにかげりはありません。
たとえ盲目になったとしても、この平安が失われることはないでしょう。
本当に驚くべきことです。

ガンガジ   その通りです。
ご自分で証明されたのです。
それが真実の平安です。
目が見えなくなったら無くなってしまうような、条件付けの平安ではありません。

質問者   今回、3度目の投薬が始まったのですが、
薬が強すぎてからだにとっては大変な苦痛です。
身体的にとても大きな苦しみがあります。
でも、私は平安です。

ある集会の場で、
『君は、最期を待っているんだろう』とある方に言われたのですが、
その方がおっしゃる意味がよく分かりませんでした。
待っている? 私が何を待っているというのでしょう?

それはともかく、
私は、自分の身体の苦痛を人に知られるのがとても嫌です。
それなのに人々は私に、どんなにつらいのかを話すようにと言います。

ガンガジ  それが人間ですね。

質問者   ええ。

友人たちは私を見かけると、皆親切に近寄ってきて、
『どんなにつらいのか、遠慮しないで話してくれていいのよ。
つらいことがあったらなんでも聞くからね。愛しているわ。』と言います。
『苦しいときは何もかも打ち明けてね』と。。。

ガンガジ   皆、愛しているからそう言うのです。
美しいですね。
あなたをありのまま受け入れようという、皆の意志ですね。

ただ、難しいのは、
あなたにとって何が真実であるのかを、人々が気づかないところです。
あなたが平安のなかに在ることを理解するのは、皆には非常に難しいでしょう。

私にも同じような経験があります。
数年前に、私は、社会的にとても困難な状況に置かれたことがありました。 
そのような折、修養会に出席していたある方が、私に手紙をよこしました。

手紙には、
『あなたはひどいいかさま師だ。
惨めなくせに何でも無いような態度を装って集会を行い、大変不快だった。』と激しい調子で書いてありました。
素晴らしい集会だったのですが、手紙はそう綴られていました。
その方はスピリチュアルな教師をしておられました。

一体どうすれば良いのでしょうねえ?
その方の手紙は、その方ご自身の体験なのです。

手紙を読んだ後、
『私は惨めなのだろうか? 何かを隠しているだろうか?』と、自問しました。
調べてみるのは有益です。
でも私は何も隠していませんでした。

ですから、
あなたはご自分を信頼すれば良いのです。
また、あなたの友人たちが慰めてくれる時、彼らは愛ゆえに語っている、ということも信頼すればよいのです。

時には、人間にとって、他の人が平安でいるのを受け入れるのは、不幸でいるのを受け入れるよりも恐ろしいのです。
なぜなら、惨めさのほうが、皆、感覚としてよくわかるからです。良く知っているからです。
人間は多くの場合、惨めさを慰め合い共感することでお互いに結びついてきました。
そういう方法が馴染み深いのです。

質問者   はい。

私の周りの人たちは、誰一人あなたに興味がありません。(笑い)

ガンガジ   ええ。よく知っています。
私の周りも、そうですから。(笑い)

質問者   この会場にも友人がいますから、誰一人というのはおおげさな表現かもしれませんが、
ほとんどの私の友人は、あなたに全く興味がありません。
一緒に、この修養会に参加してくれる友はいませんでした。
皆、ガンガジへの興味がゼロなんです。(笑い)

ガンガジ   不思議ですよねえ。

どうなのでしょう。
声が好きだ、というような、
単なる生物的な反応なのかも知れません。

共振とでも言いましょうか。

共振するならするし、しないならしない。ただそれだけです。
正直でいればよいのです。
強制したりされたりというものではありません。

ただし、もし共振するのなら、それを尊重しましょう。

先ほどはとても嬉しかったです。
なぜならあなたが、ご自分で体験をして発見したことをここで話されたからです。
あなたがおっしゃった通りです。

私が、
『何もするな』と、皆様に申し上げてきているのは、真実です。
本当に言葉通りです。

私たちは 
”自分が何かをする” ことで、
与えられたギフトに養分を与え、次々に子芋を増やしていくのだと思い込みがちですが、
そうではありません。
それは ”尊重” ではありません。

やるべきことがあるとすれば、
そう、もし何かをなさりたいのなら、
発見なさった、”真実” に常に意識的に注意を向けていることです。
あなたがおっしゃったとおりです。
尊重する。愛する。とは本当はそのような意味です。

もしそれが重荷になっているようなら、何かが違います。
きっと、”あなた” が何かを ”やっている” でしょう。
あなたが何かをやっている。
尊重 ”して” いる。
ヴィジランスを ”やって” いる。
愛 ”して” いる。
あれやこれやを ”やって” いる。
それは、本当の尊重ではありません。

真に尊重するとは、あなたがおっしゃったように、
『わからない!』と、ただ心を開くことです。
それが、ヴィジランスです。
完全に初心のままに、完全にわからないまま、心を開いている。
『私は何も知らない』と。

私たちの存在の深奥に在る ”真実” を尊重しなければ、
地球も、人々も、多様性も、平安も、尊重することなどできません。
”真実” を尊重せずにあなたが何かをすると、善人として行動しながら害をまき散らすことになります。
歴史が証明しています。

一瞬、止まり、真実を尊重する。
心底、”今ここに在る” ”それ” に心を開く。
意識的に注意を向けている。
ただそれだけです。

質問者   今日はここに来てよかったです。
もう一度お会いできるかどうかわかりませんが、どうもありがとうございました。

ガンガジ  こちらこそ。ありがとうございます。























































ただ気づいて、『在る』こと(ヴィジランス) comments(6) trackbacks(0)
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