2014年05月の記事 | ガンガジとの対話
ガンガジが世界各地で様々な人々と行っている対話をご紹介します
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希望を手放す


手放すという話をいたしましたら
ある方から、願望はどうだろうかと質問を受けました。

願望にはいろいろなものがあります。ある種の願望は他のものよりも強いですね。
でも、願望はどのようなタイプであれ、しがみついているよりも手放す方がずっと簡単です。

ところがマインドがそれをひっくり返し、
手放すのは難しいと、
まるで催眠術のように繰り返します。

実際は、しがみついているほうが困難です。
そして多大な労力が必要ですし、苦しみを産みだします。

なぜなら、
物語を覚えていなければなりませんし、
それがどのように展開するべきかを考えなければなりません。
どうあるべきだったか、
誰のせいでそうなったのかを考え、
そして最終的に、
ここに悪魔が入り込んでくる隙があるのですが、
状況が変わるようにと。希望を抱かなければなりません。

(笑い)

そのようなことを人類は伝承してきています。

実際に重さがある訳ではありませんが、
大変重い体験です。

そこで、質問者と私は希望について検証をしました。

私の見方では、
希望は子供たちには必要不可欠です。
希望は未来と関わっていますから、
神経系統が未発達である子供を心地よくしてやる為に、希望が必要です。

しかし、真に成熟をした者には、希望は悪魔のような代物です。
なぜなら希望は、執着へと引きずり込むからです。
希望は私たちを ”今ここ” から乖離させます。

子供のような人たちには希望が必要でしょう。(笑い)
今ここにじっと止まる、という恐れは、
何よりも深い絶望かも知れません。

でも、いかがでしょう。
生きる頼みの綱としての希望を進んで手放し、
無希望という絶望の内でじっと止まってみる。
人間であるという絶望の内に、
人間がしてきたあれこれへの絶望の内に、
あなたがしてきたあれこれへの絶望の内に、じっと動かずに止まるとどうでしょう。

私たちは、自分たちの住処に一体何をしてきたでしょう。
お互いの身に、何をしてきたでしょう。
子供たちに何をしてきたでしょう。
他人事ではありません。
あなたは何をしてきたでしょうか?
今も継続中ですね。
変化が起きるよう望み、
相手がやっていることを止めさせたいと望んでいます。

私が受けた質問は、
恋人との関係が変わってほしいという希望でした。
よくある話です。

希望は普通、誰かとの関係性の中に起こります。
あなたと他。
現在の恋人でなくても、未来の恋人かもしれません。
または相手は世界かもしれませんし、神かもしれません。
共通しているのは、あなたと何物かとの関係性です。

私たちは関係の中に自分の理想を重ね合わせ、
その結果、空虚感を体験します。
そしてそれを自分の成長の為に利用するかわりに、
もっと違ったふうならよかったのに。
こうでなければいいのに。
なんとか理想に近づけたい。
今度こそ状況を変えたい。
彼らを変えたい。
私を変えたい。と物語を紡ぎます。

私は皆様に、
たった今この瞬間に、そのようなすべてを諦めてはいかがかと提案します。
希望も、無希望も、両方とも、
すべて諦めてはいかがでしょうか。

どっちみち、実際に存在している訳ではないのです。
愚か者によって語られる作り話です。

(会場笑い)

そのとうり。
自分が愚か者だと気づくのは、
成熟がかすかに輝く一瞬です。

(会場爆笑)

「僕を見て見て! 強いだろう。すごいだろう。」
これは子供です。

ペッシャンコになり、
「私は何ひとつコントロールできないんだ。
何も知らない。
知る由もない。
誰に対しても、
どのような状況に対しても、
世界に対しても、
どんなときにも、何ひとつ自分の思うままになんてできないんだ。」
これが成熟です。

そこに、真の解放があります。

そして解放の二次的な作用として、責任があらわれます。
この責任は、
私たちが思い込んできたようなたぐいの責任とは異なります。
変化させる必要など何もない、光から、ハートから、やってきます。

変化への願望はあるかもしれません。
でも自分自身の充足の為に、私たちが願望を満たす必要などまったくありません。

人類の歴史の中で、たくさん見聞きしています。
変化を起こすこと、あるいは起こさないことに対し、全力を尽くさない人間は責任感の無い人間だと、私たちは思い込んでいます。

けれども、
究極的に、結果を自分の思い通りに操ることなどできません。
あなたは、あなたの生命のエネルギーを幻に注いできたのです。

もし実際に、あなたが思った通りにすべての事が運んだとしたら、皆にとっては大変悲惨です。

(会場爆笑)

例えば、バイオ ディーゼル(植物由来燃料)でしたでしょうか。画期的に登場しましたが、後に食料危機を招くかもしれないとわかりました。

私たちは、何が究極的にどのような結果を招くかなど、知る由もないのです。

ええ、もちろん知っているつもりでしょう。
これが変われば、彼らが変わり、
彼らが変われば、あれが変わり、
そうすれば、
私の状況が変わり、
そしてOKになるはずだ、と。

でも、そうはならないのです。

何世代にも渡って、そういうことをやってきました。

最近、ナポレオンを論じる本を読みました。
トルストイによるナポレオン語録の翻訳文です。
ナポレオンがセントヘレナに送られたとき、彼はメモを残していました。ナポレオンは、自分の行いがヨーロッパに光をもたらすと信じていました。彼自身がそう綴っていました。
皆の為に最高の事をしていると信じて疑ってはいませんでした。
しかしトルストイやシャールトンの見解では、ナポレオンはならず者でしかありません。
なぜこれほど異なった見解が同時に存在し得るのでしょう。

まるで、あなたのマインドのようですね。
あなたのマインドの一部は、あなたが正しいことをしようとしている言っています。
あなたはすばらしい善人であり、人類や地球を救う為に、与えられた役割をただ単に全うしようとしているのだと。

しかし、マインドの他の部分は、
あなたはずるく、うそつきで、罪深く、自分勝手で、誰よりも自分こそが大事だと言っています。

さあ、こんなに異なったマインドの対立を、どうやって調整したら良いのでしょう。

両方とも、手放すのです。
即座に、
すべての評価、秤を捨てるのです。

それが難しいのはただ単に、
ある定義がもたらす特定の結果に
あなたが執着しているからです。

そうではありませんか?
おわかりでしょう。

何故私がそんなことを知っているのかとおっしゃるのですか?
サイキックな能力など必要ありませんよ。
自分自身のマインドの構造を検証すればわかります。

そして、進んで手放すのは一瞬でできます。
静寂の中の休息です。
あらゆるすべてが現れ、消えていく たった今という ”空” の中に。

それは命のない静寂ではありません。
意識に溢れた静寂です。
今ここに ”在る” 意識そのものです。
形態の制限や制約がなく、
価値観だとか、評価から全く自由です。
真に自由で、愛そのものです。

私たちの存在の意味がそこにあります。
あらゆる人にとってそうであるかどうかはわかりませんが、
あなたにとってはそうでしょう。

なぜなら、何処かで何かを読んだとか、夜中にピンときたとか、
見たとか聞いたとか、
あるいは何の理由も無く唐突にかもしれませんが、
少なくとも一度は、何かがあなたの心に触れ、
そうだ!とあなたはうなずいたのです。

良くも悪しくも、”それ” があなたに触れたのです。
そう。良いのか悪いのか、価値付けるのも止めましょう。
触れられたのなら、それがあなたの存在の意味なのです。

あなたを不明瞭にし、
あたかも ”それ” から乖離させているかのように見えるすべての事柄を、ただ一瞬手放し、全面的に明け渡すなら、
あなたはやがて生きている意味そのものとなるでしょう。

そうすれば、
あなたが生きている存在の意味は、宇宙全体に響くでしょう。
あなたには知る由もなく、あなたは世界の人々に影響を与えるでしょう。

あなたへのサポートが、どんなふうにやって来るのかは神秘です。
実際的なサポートとして誰かからやってくるかもしれません。
またはあなたの人生のチャレンジという形でやってくるのかもしれません。どのような形でやってくるのかは誰にもわかりません

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